「恋」と「愛」(中村稔)

中村稔*1「愛について 戦前の詩・戦後の詩」『サティア』(東洋大学井上円了記念学術センター)48、pp.24-27、2002


戦前の詩人たち(高村光太郎石川啄木萩原朔太郎中原中也)と戦後の詩人たち(田村隆一谷川俊太郎)の「恋愛」観が論じられている。


恋愛というけれども、恋と愛とは同じではない。『新明解国語辞典』には、「愛」の語義として、個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情を第一とし、その用例に人類愛、郷土愛、自己愛をあげ、自分という存在を無二の使命を持つ者と考え、自重自愛のかたわら研鑽に励む心情を第二とし、親子の愛、動植物への愛、自然、学問、芸術などへの愛をその用例としてあげている。同じ辞書は「恋」を「恋愛」の意とし、「恋愛」とは、特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態、とその語義を示している。この辞書が異性間の思慕の情、合体したいというような心情を「愛」の語義として示していないということは注意してよい。私はこの辞書の語義に必ずしも同意できないが、例えば人類愛、学問への愛などの用例の愛が恋と置きかえできないことからみても、恋と愛の語義の違いは明らかであろう。しかも、この辞書の語義にかかわらず、愛が異性間(時に同性間でもありうるが)の心情、関係を意味する言葉としてひろく流通していていることは誰もが知るとおりである。
これは恋という言葉が万葉集の部立にみられるとおり、わが国において古くから用いられてきたのに対し、愛という言葉がごく新しく、その語義が必ずしも明確ではなく、揺れがあることによるものであろう。愛はもともと存在しなかった言葉ではないが、明治以前には仏教語として執着を意味するような否定的な陰翳をもっていた。聖書の翻訳にさいして、愛、という言葉を採用した当時、かなりの非難があったことも事実である。しかし、恋とは違った、新しい時代の異性間の心情、さらには、其の他の心情を意味する言葉として、徐々に定着した。私の知る限りにおいて、詩に「愛」という言葉をはじめてとりいれたのは石川啄木であった。彼がその妻節子との間で確立しようとした精神的かつ身体的関係も、「恋」という言葉はふさわしくない、新時代の男女関係であった。そして、この「愛」という言葉を口語詩にもちこみ、これにいきいきした活力、具象性を与えた最初の詩人が高村光太郎であった。
高村光太郎において「愛人」とは平等な男女間の心情を表現する新しい観念であった。石川啄木のばあいも同じであったが、高村光太郎のばあいも、愛とは性愛をともない、しかも性愛をこえる男女間の強い心の絆でなければならなかった。おそらく、そのために、女性が理想化されたのだといえるかもしれないし、逆に、女性を理想化する性向のために、そうした夢想が生まれたのだとみることができるかもしれない。(pp.25-26)
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