「群衆」(メモ)

革命的群衆 (岩波文庫)

革命的群衆 (岩波文庫)

ジョルジュ・ルフェーヴル『革命的群衆』(二宮宏之訳)から;


「群衆」fouleという独自の概念は、医学博士ルボンによってフランス革命史研究に導入されたものである。この概念は、ルボン以前には誰もほとんど注意を払わなかった、さまざまな問題が存在することを示唆してくれた。その点では、ルボンの功績は疑うべきもない。しかし彼の貢献は、それ以上のものでは決してないのである。饒舌で性急なルボンは、曖昧かつ皮相な議論を展開したにすぎない。彼はそれらの問題点を、はっきりと提示したのではなかったし、「群衆」という概念自体も明確にしなかった。「群衆」という言葉で、異質な諸個人の集まりを指している場合もあれば、「群衆」をエリートと対置している場合もある。後者の場合には、「群衆」は民衆的諸階層の茫漠とした寄せ集めといった意味でしかない。彼は、一方の概念から他方へ移りゆき、両者を恣意的に混同している。それはおそらく、ルボンが、人間という存在は、「心的感染」contagion mentaleと彼が名付けるところのものによって動かされている、と考えていたことに由来しよう。もっとも、この「心的感染」なるものを、ルボンはきちんと研究したこともないし、定義してもいないのであるけれども。こうした弱点は、しかし、たいして驚くには当たらない。ルボンは、フランス革命の社会史はもとより、政治史についてすら、直接自分で研究したことはなく、材料はもっぱらテーヌの研究に頼っていたからである。ルボンの著書からは、次の二つの結論を抽き出すことができる。第一には、「群衆」について語りながら、彼は群衆を研究する気はさらさらなく、ただ、この言葉の陰に、心的現象に関するある種の考え方を密かに滑り込ませていただけだということ。そのために、群衆の独自性は、実際のところ消え失せて、個人心理の問題となってしまっている。第二には、革命一般、とりわけフランス革命は、リーダーたち――その中には真面目な者も不真面目な者もいたのだが――にそそのかされた、無自覚な暴徒のなした業であり、それゆえ、フランス革命に原因があるとすれば、革命のリーダーたち自身をそそのかした「啓蒙思想家」の著作以外にはない、ということである。レアリストだと自認していたルボンが、こうして、革命運動を純粋にイデオロギー的観点から見ようとする連中と合流しているのを目にするのは、まことに奇妙なことである。(pp.10-12)
ルボンに関する二宮氏の訳注;

(三) ルボンが「群衆」について語っているのは、たとえば『群集心理』第二篇第三章第二節。そこでは指導者の行動手段として、断言affirmation、反覆repetition、感染contagionが挙げられており、指導者の主張は論理的説得によってではなく、断言的に反覆されることにより群衆のうちに感染していくと主張されている。この感染は動物に認められる現象と同じで、「厩にいるある馬の悪癖は、やがて同じ厩の他の馬によって模倣されるし、数党の羊の怖気や取り乱した行動は、ほどなく群れ全体に拡まる」が、人間の集団にあっても、「意見や信念が伝播するのは感染作用によるのであって、論理の働きによることはほとんどない。労働者たちの抱く考えは、酒場で、断言・反覆・感染によって形づくられる。いかなる時代の群衆の信念も、別の仕方で形成されたことはまずないのだ」とルボンは言う。(p.68)
テーヌを巡って;

(四) イポリート・テーヌHippolyte Taine (1828-93)は、オーギュスト・コントの流れを汲む思想家で、レアリスムや自然主義の文学に大きな影響を与えた文芸批評家であると同時に、大著『現代フランスの起源』 Les origines de la France contemporaine全六巻(一八七五-九四年)で知られる歴史家でもあった。この大著の二-四巻はフランス革命に宛てられているが、パル・コミューンの強い衝撃のもとに書かれたこの著作には、革命期の群衆を、犯罪的行為に走りやすい盲目的群衆として捉える傾向が強く見られる。ルボンは、テーヌの心理分析には理論的把握が欠けていると批判しながらも、オーラールと対比しつつテーヌを高く評価し、その群衆観に強い共感を示している(『フランス革命と革命の心理学』第二部第一篇第一章)。テーヌが、環境・時代と並んで人種を重視していたことも、文明を人種と結びつけて捉えようとしたルボンに通じるものがあると言えよう。(pp.68-69)