マンデラ/ロベスピエール(メモ)

赤軍―1969→2001 (KAWADE夢ムック)

赤軍―1969→2001 (KAWADE夢ムック)

鵜飼哲、平井玄「難民の時代と革命の問い」(reprinted in 『文藝別冊 赤軍1969→2001』河出書房新社、2001、pp.180-188)


鵜飼氏の発言から;


これは一つの補助線だけれども、フランス革命から二〇〇年、ぼくは試みにロベスピエールとネルソン・マンデラを入口と出口に置いてみる。二人とも弁護士です。ロベスピエールも最初は死刑廃止論者だった。それが一八世紀の啓蒙思想家でありベッカリーア的な死刑廃止論者だった彼が、権力を行使する過程で、ルイ一六世ばかりでなく、革命の同志たちも大量に処刑していきやがて自分も断頭台の露と消える。それから二〇〇年、革命の思想と実践の歴史があり、その果てにネルソン・マンデラが登場した。ネルソン・マンデラ武装闘争をやった人です。解放前のアルジェリアの解放区で武装訓練をし、「民族の槍」というANCの武装部隊を組織して武装闘争をやるわけですが、それでいて、最初から武装闘争のメルクマールを物の破壊に限定していました。これは彼自身、逮捕された後のリボニア裁判の冒頭陳述で言っていることです。
武装闘争」にせよ「テロリズム」にせよ、人によって呼び方は違うけれども、どちらにしても、現実と対比してみた場合、あまりに粗雑な概念ですね。オウム真理教が出てくると、「昔だったら全共闘になるような連中が今はああなった」などという言い方までされる。しかし、注意してもらいたいのは、サリンは人しか殺せないけれども、爆弾は物だけ壊すこともできるわけです。
マンデラは、すでに六〇年代初めに、アパルトヘイト体制に対して武装闘争を始めた時に、最初からその問題をきちんと考えていた。これはすごいことです。言い換えれば、暴力革命か非暴力平和主義かというともすると不毛な問いを、彼だけが実践的に解いたとも言える。マンデラアパルトヘイト政権にとらわれる前から死刑廃止論者で、獄中でもずっと死刑廃止論者であり続け、彼が解放され大統領になると南アではすぐに死刑を廃止するわけですね。今の「真実と和解委員会」が非常に困難な局面を抱えているということは当然のことだと思いますが、その理念と、今言ったようなマンデラの思想、解放闘争の渦中において武装闘争をどう限定するか、といった問いに一つ一つ真剣に応えていった彼の歩みとは一つながりなんですね。(pp.184-185)