不適切と陳腐さと

アジア力の世紀――どう生き抜くのか (岩波新書)

アジア力の世紀――どう生き抜くのか (岩波新書)

本を読んでいて、ゴミのようなフレーズに出会って、こちらの心が固まってしまい、その後、どうしても頁を捲る気が起きなくなってしまうということは、勿論、ほんの偶にではあるけれど、ある。というわけで、読みかけた進藤榮一『アジア力の世紀』という本を既に3週間くらい放置している。
問題の一節は、


アメリカン・フットボール――アメフトと略称される米国の国技だ。対する日本の国技は、相撲である。この二つの国技の違いに、両国の外交文化の差が集約されている、私はその差を、最初の留学先、首都ワシントンで、クラスメートたちと初めて練習試合をした時に痛感した。「ボールは左に投げるふりをするから、お前は右に回り込め。そしてボールを取ってすぐ、敵の裏をかいて今度は左端のジョンに飛ばせ」。
試合開始前、綿密な作戦会議を行う。ハーフタイムごとに戦略を練り直す。まさに戦略と謀略ゲームの極致である。
しかもぶ厚い防具をつけて戦う。そして超ミニの華麗なチアガールがフィールドに繰り出して戦意を高揚させる。まさに重武装ソフトパワーで戦うゲームである。
対する日本の相撲は、まわし一本以外、何もつけない。土俵に塩をまき、不正をせずに技を競い合いますと観客の前で誓う。この文化の中で日本外交も展開する。正義論が好きな国民性がそのムードに拍車をかける。(p.70)
すごくチープなオリエンタリズムなのだけど、先ず第一に比較の対象として不適切だろう。「アメリカン・フットボール」と「相撲」;


球技/格闘技
団体競技個人競技


という差異があり、「アメリカン・フットボール」と比較すべき対象は、先ずは同じ「フットボール」であるサッカーやラグビーだろうし、さらに言えば、野球、バスケットボール、ヴァレーボールといったお同じ球技だろう。(日本の)「相撲」と比較すべきなのは、先ずはモンゴル相撲や朝鮮相撲(シルム)であり、さらにはレスリングやボクシングという格闘技だろう。ロバート・ホワイティングの『菊とバット』だって、野球と相撲を比較するなんてことはしていない。あくまでもヤキューとbaseballを比較した日米比較文化論なのだった。

菊とバット (文春文庫)

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