朱/黒

大場一央『戦う江戸思想』から。
渡会家行の「伊勢神道*1について。
これは「伊勢神宮の祭神である天照大神が、みずからを伊勢に祀るよう神託を下し、神を祀る心得、人の生きる道について、さまざまな教えを述べるという体裁をとっている」(p.30)。


こうして示された教えは実に単純明快で、「らしくあれ」ということである。
(略)人はそれぞれの場所において、与えられた立場と役割があり、それ「らしく」生きることで、はじめて社会は調和と安全を実現するというものである。何故ならば、人は生まれながらにして、それぞれの社会的な立場や役割を素直に感じ取る、「朱き心」を持っており、また、お互いが立場や役割「らしく」生きることで、お互いに背中を預け合って、安心と幸福を実感できるからである。これはつまり、人間が個人ではなく、人倫(社会関係)の中でしか生きられないことを表している。
しかし、それが身体的な苦楽や利害でしか判断しない「黒き心」によって穢され、それぞれが立場や役割を果たさず、自己主張をぶつけあえば、誰が何を言いだし、何をしだすか分からなくなることで、世の中がおかしくなってくる。たちの悪いことに、そうした黒き心は、それがさも人間の自然な本性であり、立場や役割はその自然を阻害して、故人を組織のために抑圧するものであるかのように錯覚させ、またお互いがお互いの利益や快楽を侵害すると錯覚して敵対し、ますます人の心を苦しめ、社会を乱すのである。
したがって、「黒き心」を神への祈りによって祓い清め、「朱き心」による、立場や役割に徹した生活をすることで、人は人倫の中で役割を果たし、立場という居場所を得た実感によって、本当の安心を得られる。神はそうした一人一人の生活を通じて国家の安寧を実現する。(略)神は神秘的な装いで出現したり、超越的な奇跡を起こしたりする訳ではなく、あくまで祈祷を通じて神に向かい合うことで、「朱き心」の自覚を通して人の心に顕現し、「黒き心」のない正直な心によって、安定した日々の営みを送れる加護を与えるのである。つまり、一人一人の正直な心と、役割分担による生活こそが、「神ながらの道」であり、「日本」の姿であると宣言したのである。
(略)ここにおいて、政治的な議論や宗教的な教説を敢えて排し、一人一人の生活における「神道」を見出したことは、まぎれもなくオリジナルな思想であった。この思想を補強すべく、渡会家行は『類聚神祇本源』などを著し、和漢の書物をひろく引用しながら、全時空を通じて実現されるべき、日本のあり方と、日本人の生き方を論じている。(pp.32-33)
北畠親房は渡会家行の弟子であった。

神皇正統記*2では、神代から鎌倉末期までの歴史をつぶさに追っていく。その中で、神は立場や役割を分け合い、それぞれが立場や役割を全うすることで、日本をつくりあげていくことを望んでいると説く。これは親房が師事した渡会家行と同じ考え方である。その上で親房は、歴史上の事件をとりあげながら、一人一人の「わがまま心」によって社会が荒廃してきたと説いた。「自分らしくありたい」「功績を認められたい」などの思いが、規範無視や越権行為、あるいは無意味な慣例増大につながる。それが、それぞれの位階や役職に見合った言動を乱し、人々の連携をズタズタにして衰退を招く。これは、社会を役割分担で成長させたいという神の心に背いており、そのような国は滅びて当然だと、歴史を援用して証明しているのである。(p.36)

渡会氏が人の心にフォーカスしたのに対し、親房は役割の方に重点を置いた。それは、律令の規定をはじめとする、規範になりきることによって、社会に調和と安定をもたらすという論理になる。つまり、一人一人の国民が、生まれついた位階や与えられた役職に応じて、それになりきることを要求しているのであり、職業倫理を徹底して重視する立場である。
ここからはさらに、国民が国家に貢献し、命を捨てたとしても、それによって評価や対価を期待するのは間違いであり、また、君主が国民の献身を当たり前だと思い、公正公平な評価や対価を与えないことも間違いだという議論が出てくる。
この議論を証明するため、親房自身がまず率先してみずからを律し、かつ厳正な判断と行動に徹したが、自己主張に満ち溢れていた時代では、それが際立って高潔で、犯しがたいものに見えた。したがって人々は親房を恐れ、また付き従ったのである。親房は政治家、戦略家としての活動の他、有職故実について研究した『職原抄』や、神道思想について研究した『元元集』を著し、思想家としても大きな足跡を残した。(p.37)
作田啓一個人主義の運命』*3によると、「質的個人主義」としての独逸浪漫主義でも「役割」を重視した。「個性」の実現のためには適切な役割体系が必要とされるからである。