「誘拐」じゃない、そもそも

和久井香菜子*1「放送中止のドラマ『幸色のワンルーム』は、そんなに危険な話なのか?」https://joshi-spa.jp/859271


先ず、(和久井さんではなく編集部による)前振り;


テレビ朝日が、6月18日に放送中止を発表したドラマ『幸色(さちいろ)のワンルーム』。7月から放送する予定だったのが、「誘拐を美化している」などの批判が寄せられたために、異例の中止を決定したのです。一方、制作した大阪・朝日放送(ABC)では7月から予定通り放送します。

ドラマの原作は、「はくり」さんによる同名漫画で、2017年2月から無料漫画サイト「ガンガンpixiv」で連載されて大きな話題を呼びました。累計閲覧数は2億回を突破し、コミックス1〜4巻は累計75万部とか。

 実は、漫画自体もネットで賛否両論だったのですが、それほど危険な作品なのでしょうか?

 少女漫画マイスターで『少女マンガで読み解く 乙女心のツボ』著者である和久井香菜子さんに、漫画を全巻読んで批評してもらいました(以下、和久井さんの寄稿)。

和久井さん曰く、

作品に対して批判的なコメントを読んでみると、「実際にあった、ある誘拐監禁事件をモデルにしている」(作者は否定)、「被害者が幸せを感じるのは、誘拐を美化している」という点が批判の的のようです。

 一方で擁護派は、「フィクションで、実際の事件とは関係ない」「ちゃんと読めば誘拐を美化などしていない」と反論。ネット上では今も議論が続いています。

 作品を読んでみると、ストーリーのテーマは「孤独」や「自分の居場所」といったとても現代らしいもので、決して誘拐そのものではないことがわかります。

「実際にあった、ある誘拐監禁事件」って、要するに寺内樺風の事件*2のこと? 和久井さんの記事を読んで、ちょこっとインスパイアされたというならともかく、「モデル」にしたというのはちょっとないんじゃないかと思った。
さらに、和久井さんによれば、物語の中で「誘拐」は行われていないという;

第1巻の冒頭からすでに「ワンルーム」に2人がいる場面で、「誘拐した」という言葉が使われてはいますが、その経緯はずっと明かされません。第4巻でようやく、お兄さんが幸を「誘拐」する場面が再現されます。それはこんな場面です――。

 人生に絶望した幸が、川に身を投げて自殺をしようとしたところを見かけたお兄さんは、幸に声をかけます。「僕は君のストーカーだ」「家庭のことも学校のこともなんとなく察してる」「だから、死なれるくらいなら君を誘拐しようと思う」と言って手を差し伸べます。すると、お兄さんの予想に反して幸は「本当ですか!!」と満面の笑みを見せます。「じゃあ、私のこと助けてくれるんですね!!」と。

 お兄さんは幸になにかを強要することも、脅して言うことを聞かせることも、自由を奪うこともしません。つまり冒頭でお兄さんが「誘拐」と言っているのは、単なるレトリックとして、この単語を使っているだけなのです。2人のセリフから「誘拐」という言葉を消すと、外を堂々と歩けないこと以外、誘拐要素はひとつもありません。誘拐というよりは「逃亡」に近い。


また、虐待やいじめをテーマにしたマンガは多数あります。最近のマンガで特徴的なのは、虐待やいじめの行為がテーマではなく、主人公のバックグラウンドとして語られることです。この10年ほどで毒親という言葉が浸透し、児童虐待のニュースも頻繁に取り上げられるようになっています。「大きな事件」ではなく身近な問題として、虐待やいじめが描かれるようになっているのです。

 マンガや小説といった創作作品はもともと、社会の中で埋もれている問題を掘り起こしたり、個人の葛藤や時代を象徴する出来事が描かれるものです。主人公は自分の意志を持った個性的なキャラが多い。

こうした前提を踏まえて『幸色のワンルーム』をみると、虐待、いじめ、孤独といった現代の闇をギュッと詰め込んだ作品だとわかります。作品のファンは、孤独やとまどい、大切に思い合える相手や居場所を見つける喜びに共感していて、「誘拐」というレトリックにこだわる人は少数でしょう。

 実際に事件になった事柄を創作物にしてはいけないなら、殺人や詐欺、窃盗など、今現在公開されている多くの作品はNGです。ほかの事件は許されるけれど『幸色のワンルーム』は許されないのでしょうか。もしくは「人を傷つける可能性のあるもの」はすべて禁止するべきなのでしょうか。

まあ、恋愛と(象徴的な意味における)「誘拐」とは密接に結びついているということはある。Take me to ...(あたしを……へ連れ去って)というポップ・ソングは星の数ほどあるかも知れない。
「誘拐」物語というと、角田光代の『八日目の蝉』*3とか。
八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)