週休1日に感謝感激せよ?

キャリコネ編集部「高プロ推進する竹中平蔵「適用する人増やさないと日本経済は強くならない」 ネットでは批判殺到「二度と騙されない」」https://news.careerconnection.jp/?p=54714


高度プロフェッショナル制度*1衆議院を通過した前日に、NHKの番組に出た竹中平蔵*2が「高プロ」制度における「4週間で4日以上かつ年間104日の休日確保」という規定について、「年間104日の休みというのはほとんど完全週休2日制です。4週間で必ず4日取るというのはものすごく厳しい規制です」と述べたという。竹中によると、週に1日休んでいる労働者は、それは会社が相当に無理をした結果なのだから、西城秀樹以上に「感激」しなければいけないということになる。「週休2日制」であればなおさらだ。
さて、「高プロ」が少子化を促進する可能性;


蓑輪明子「働き方改革 #高度プロフェッショナル制度女性差別助長し子育て介護抱えた男性を低賃金に追いやる」http://blogos.com/article/299334/


そもそも「高プロ」の「必要性の根拠」がアレだったという話;


リテラ編集部「またインチキ発覚!「高プロ」の必要性の根拠はでっち上げだった! たった“十数人”のヒアリングは企業の仕込み」http://lite-ra.com/2018/05/post-4042.html


高プロ」についての基本;


上西充子「労基法改正をめぐるNHKの論点隠しで隠されているもの」https://news.yahoo.co.jp/byline/uenishimitsuko/20150406-00044580/
上西充子「高度プロフェッショナル制度「きほんのき」(1):「労働時間の規制を外す」→でも労働者は時間で縛れる」https://news.yahoo.co.jp/byline/uenishimitsuko/20180601-00085937/


猪野亨*3高度プロフェッショナル制度高プロ)が労働そのものを否定する 国全体が不幸になる」http://blogos.com/article/300687/ *4


曰く、


高プロの対象となっているのは、相応の高度な労働を担う労働者ということになりますが、賃金を下げるが働けと言っているようなもので、これではこのような職種を目指す人はいなくなってしまいます。今、働かされている労働者は与えられた職務ということで「忠実」に働いてくれるかもしれません。しかし、絶対に後に続く人たちは出てきません。早晩、先細りになります。

 昨今、公務員志向とか安定志向が強くなってきている中で、こうした労働に耐えうる層は非常に限定的になっていくだろうし、例えば何も無理をしなくてもスマホさえされば何もいらないよ、なんて言われてしまったら、労働意欲なんてまるでなくなってしまいます。
 労働に自己実現を見いだせなくなってきたのは、働いても仕方ないという風潮が生み出されてきた背景に労働に対する適正な評価がなされず、それに見合った収入が得られないということになれば、誰もそういった職種を目指すことはなくなるということです。

岩井克人『会社はこれからどうなるのか』から少し抜書きをしておきたい。

産業資本主義時代においては、おカネは絶対的な支配力をもっていました。おカネをもってさえいれば大規模な機械設備を手に入れることができ、機械制工場を設立しさえすれば、安価な労働者を大量に雇って、ほぼ自動的に一定の利潤を確保することができたからです。おカネをもつものが資本家となり、おカネをもたざるものが労働者となり、そのあいだに支配と被支配の関係が成立していたわけです。
ところが、ポスト産業資本主義になると(略)もはや機械制工場のオーナーであるだけでは、利潤は得られなくなっています。なんとか差異性を見つけだしたり創り出したりしなければ、利潤を生み出すことはできません。たんにおカネをもっているだけでは利潤が得られないのです。おカネの支配力が弱まってしまったのです。まさにおカネの支配力が弱まってきたからこそ、おカネの所有者は、わずかな利幅でもよいから、すこしでも有利な投資先を求めて、世界中を動き回らざるをえなくなったのです。(pp。217−218

機械や設備や建物、さらにはコンピュータ機器やソフトウェアといった有形資産は、おカネで買うことができます。また、特許やブランド名やデータベースといった知識資産の場合も、それをおカネで買うことができます。実際、具体的な形をもたないといっても、これらの知識資産はすべて形式化されて、ヒトから切り離すことができますから、原則的にはモノとして市場で売り買いすることができるはずです。
これにたいして、同じ知識資産のなかでも経営者の企画力や技術者の開発力や従業員のノウハウなどは、おカネで直接買うことはできません。なぜならば、それらはすべて人間の頭脳の内側に蓄積された知識や能力であるからです。
ヒトとは、自分以外の何人にも支配されない自立した存在です。そして、そのような自立性の究極的な拠り所は、自由意思の存在です。ヒトをヒトたらしめているこの自由意思があるかぎり、ヒトが頭脳のなかにこれまで蓄積してきた知識や能力をどのように蓄積していくかを、外部から完全にコントロールすることは不可能です。たとえ、そのような知識や能力を体現しているヒトをドレイにしたとしても、不可能なのです。
それゆえ、おカネができる唯一のことは、ヒトに知識や能力を自主的に発揮してもらうために、さらにはヒトに知識や能力を自主的に蓄積してもらうため、様々なインセンティブ(動機)を提供することだけです。成績に応じたボーナスを与えたり、昇進制度や退職制度を工夫したり、自由な勤務時間や仕事の自主管理などのような知的作業に適した環境を整えたり、会社の社会的なイメージを高めたりすることだけなのです。
(略)おカネで買えるモノよりも、おカネで買えないヒトのなかの知識や能力のほうがはるかに高い価値をもちはじめているポスト産業資本主義においては、おカネの重要性が急速に下がっているのです。それは、当然、会社にたいするおカネ(資本)の究極的な提供者としての株主の重要性が、会社のなかで急速に低下していることを意味することになります。そして、そのことは、会社とは株主のものでしかないというアメリカ的な「株主主権」論の正当性が、いままさに疑われ始めているということを意味することにもなるのです。(pp.273-275)
さて?
会社はこれからどうなるのか

会社はこれからどうなるのか

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100702/1278043288