「蜘蛛の巣」

大澤真幸氏が


ちなみに、現代社会(先進国)での殺人による死の比率は、0・01%未満(一万件に一つよりも低い)である。狩猟採集民だたサピエンスと比べると、およそ二百倍低い水準に抑えられていることになる。(「暴力性の由来」『本』(講談社)497、註14、p.61)
と書いているのを読んだとき*1、一方で暴力の内向化或いは再帰化としての自殺を考慮すべきだろうと思ったのだが、他方でよしもとばななの短篇「デッドエンドの思い出」*2の主人公=語り手である「私」(「横山ミミ」)の独白を思い出してしまった;

家族とか、仕事とか、友達とか、婚約者とかなんとかいうものは、自分に眠るそうした恐ろしいほうの色彩から自分を守るためにはりめぐらされた蜘蛛の巣のようなものなんだな、と思った。そのネットがたくさんあればあるほど、下に落ちなくてすむし、うまくすれば下があることなんて気づかないで一生を終えることだってできる。
全ての親が子どもに望むことって「できれば底の深さに気づかないでほしい」そういうことじゃないだろうか。だから、両親は今回のこと*3を私以上に、大きくとらえているんだろう。私がここで大きく落ちていかないように、かなり心配しているのだろう。
人間はそうやって、大在の力を出しあってどうにかして人を殺したりしないで生きていけるような仕組みを作り出したんだ……とまで考えが大きくなったとき、私はどうしてだか、インドの街角で犬の糞にまみれて暮らしている人たちのことや、消費者金融にお金を借りまくって夜逃げしてしまった人や、酒がやめられなくて一家が崩壊、だとかシングルマザー、いらいらして子どもを虐待、だとか、姑と折り合いが悪くて殺してしまった、とかいう話が、ただただ重くいやで気味悪いものとは思えなくなった。(pp.223-224)
デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)