「コロナ」と「世界共和国」(大澤真幸)

木下訓明「「世界共和国」の契機に」『毎日新聞』2021年1月5日


大澤真幸*1へのインタヴュー。


――コロナが国家に及ぼした影響は何でしょうか。
◆はじめは中国の問題だと思っていたのに、瞬く間に地球全体の問題になった。自分の国で感染者が減っても、周りの国や地域で感染者がいれば解決にならないと分かった。
では、皆が理解できたからそうなるかというと、それとは逆のことがよく起こる。その極端な例が「○○ファースト」だ。「ファースト」では解決できないと頭の中では理解しているのに、実際の行動はそれと背反する。こういうことを人類は何度も繰り返してきた。歴史学者ニーアル・ファーガソンは今後のもっとも悲観的なシナリオは「第三次世界大戦だ」と述べている。
逆に僕は楽観的で、僕らが死んで何世代か経過した暁には「世界共和国」に向かうと考えている。そうなる確率が高いだろうという観測ではなく、21世紀を超えて人類が繁栄できているとすれば、それしか道がないからだ。コロナ禍が世界共和国への最初の一歩、少なくともそのきっかけだった、と思えるようにしなければならない。
「世界共和国」について;

今の世界は「国民国家」の集合体だ。Nation(国民、民族)が一つずつ国家を持ってそこに主権がある。国際連合も「United Nations」で、「United States」ではない。だから国連など国際的な協力機構はあるけれども、そこでの決定に従うかどうかは国ごとに判断する。強制はできない。極論すれば最後は脱退だってあり得る。それが人類が2000年を経て模索した一番の解決法なわけだ。
ところが今回のパンデミック(世界的大流行)はそれでは解決できない。
自国の利益のみを追求すれば、かえってその国の利益すら損なう可能性がある。それでも、人々は国益レベルで行動する。それは、僕らの精神形成や教育が国家のレベルで進められているからだ。こういうシステムだと倫理的に最も立派な人が、場合によっては最も野蛮な利己性に従って動くことになり得る。ある国で倫理的に完成した指導者が国のために命を賭そうと思う。別の国でも指導者が同じことを考える。「○○ファースト」で考えるわけだ。そうすると国同士で、血で血を洗う争いになる。
だから国民国家の連合が我々の政治の基本的枠組みだとすると、英雄的な道徳心を持っている人こそ最も野蛮だということになる。政治的な枠組みごと変えないと、人類は危機を越えられなくなっていく。一朝一夕にはいかないが、主権が国家にあるのではなく、地球レベルの共同体「世界共和国」に移行することを視野に入れておく必要がある。
バイデン後;

バイデン氏の当選で世界が協力モードになることは確かだが、大きなスパンで見ると米国中心の世界というのはもう戻ってこないと考えた方がよい。世界は一旦、トランプ政権を経験した。「米国はああいう大統領を選ぶ国なんだ」と知ったわけだ。これまでは大統領選挙が終われば米国は一つになっていた。しかし今回は一つにならない。それを知ってしまった時に、世界が米国中心に物事を考えるという習慣は消えた。
中国が米国に代わって中心になることもないと思う。中国は民主国家ではないからだ。民主国家でない国は中国に付いていくかもしれないが、少しでも民主的になった国は付いていかない。
米国というコアが抜けることは、長いスパンで見るとポジティブだ。今まで通りだと、米国中心でいくしかないが、米国中心の世界を絶対に受け入れない国がいくつか出てくる。もし本当に「世界共和国」が22世紀にあり得るとすれば、一旦、米国が中心でなくなる時を経過しなければならない。トランプ政権はひどかったけれども、そのおかげで世界は多元化する。それは「世界共和国」にとって必要なプロセスだった、となるのが一番良いシナリオだ。