「あらゆる倫理性の基盤」

これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

永井均『これがニーチェだ』*1からメモ。


(前略)何よりもまず自分の生を基本的に肯定していること、それがあらゆる倫理性の基盤であって、その逆ではない。それがニーチェの主張である。だから、子供の教育において第一になすべきことは、道徳を教えることではなく、人生が楽しいということを、つまり自己の生が根源において肯定されるべきものであることを、体に覚え込ませてやることなのである。生を肯定できない者にとっては、あらゆる倫理は空しい。この優先順位を逆転させることはできない。(p.23)
この本は実に戦慄的な書物。精神が衰弱状態にある人にはお薦めできない。と言いつつ、抜書き。「序文」から。

(前略)ニーチェは世の中の、とりわけそれをよくするための、役に立たない。どんな意味でも役に立たない。だから、そこにはいかなる世の中的な価値もない。そのことが彼を、稀に見るほど偉大な哲学者にしている、と私は思う。(p.7)

(前略)多くの書物がニーチェから、問いではなく、答えを受け取ってしまっている(略)ニーチェは巨大な問題提起者で、他の誰一人として問うことがなかった問いを独力で抉り出した人である。だが、その問いに対して、自ら出した答えは、概して成功していない。いや、そもそも答えるなどということが不可能なほど巨大な問いにからめ取られてしまった、という方が正確なのだと思う。だから、彼が出した答えは、それ自体、問いの一部なのである。彼は、すでに存在していた問いに、新しい答えを出した人なのではない。人々に何か教えを説いた人なのでもない。これまで誰も捉えられたことがない、ある新しい問いに捉えられ、からめ取られ、引きずりまわされ、それと格闘し、独力でr問いの輪郭をどうにか抉り出して、死んだ人なのである。
彼は、それまで誰も問わなかったひとつのことを、そしてその後もまた誰も問わなくなってしまったひとつのことを問うた。つまり、彼は余計なことをしたのだ。偉大な――と後から評される――哲学者は、少なくとも彼が生きていたその時点ではまったく余計なことをしていた人である。彼は、すでに存在し、多くの人々が思い悩んでいた問題に、一つの解答を与えたのではない。だれも感じてなどいなかった問題をただ一人で感じ、ただ一人でそれと格闘しつづけたのである。彼の仕事の意義は、彼自身の仕事のなかではじめてつくられた。それが偉大な仕事であったとされるのは、彼だけがこだわり、ただ一人で為したその仕事の内容が、後になってなぜか人々の心を捉えたからにすぎない。あたかも時代が彼を必要としたかに見えるのは、彼の仕事の結果なのである。彼を評価する人々の評価の枠組みは、じつは彼の仕事によってつくられたのである。(pp.8-9)