承前*1
という質問に対して;
(前略)鶴見さんにとっての知識人はデューイやラッセルで、日本の知識人を知識人と思っていないと思う。知識人じゃなく、じつは大衆なんだと。西部邁の知識人批判がまさにそれなんですね。知識人といわれている人たちこそが大衆の典型なんだと。(p.233)
西部邁(社会経済学者)は正直なんだ。人間が真正直だから、私はかれに対して人間的な好感をもってる。六〇年安保のとき、どういうことをやったか、自分の詐術についてきちんという。作為をもって出世しようと思ってる人たちとはちょっとちがう。
しかし現状判断が西部邁と同じになっちゃうのは困る。結論としてちがってくるんだ。西部はチェスタートン(イギリスの作家)を高く評価する。でも私が見るかぎり、西部はチェスタートンをわかっていないね。チェスタートンには悪人性がある。ひねりがある。チェスタートンはロビンフッドのような「森の精神」をグッと出してきて、「メリーイングランドの時代は単純な搾取の時代じゃない。こういう遺産をイギリスは持っている」という。西部にはそういうひねりがない。
西部はたいへんな秀才で、学生運動をしたにもかかわらず東大助教授になっていくんだけど、池辺三山(ジャーナリスト)とか石橋湛山とか長谷川伸(作家)とか、、明治・大正・昭和の、学歴から疎外されたところで自分をつくっていった知識人の系譜に心を傾けたことがないんじゃないかな。長谷川伸は日本に捕虜虐待があるときに『日本捕虜志』(中公文庫)を出した。石橋湛山はシベリア出兵(一九一八年)を終わりまで徹底的に非難した。青島出兵に反対して「小日本」を唱えた*3。この点ではチェスタートンに似ている。そういうものに対する感度がないというのが西部とかれらとの基本的なちがいだと思う。(pp.233-234)
- 作者: 鶴見俊輔
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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180122/1516588969
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171214/1513220987
*3:これらに関する石橋湛山の論説は、岩波文庫の『石橋湛山評論集』(松尾尊兌編)に収録されている。