「中島岳志と西部邁」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131117/1384619110
私の(池田信夫*1がいうように)「中野剛志はともかくとして、中島岳志氏が西部門下を「自称」しているの?」という疑問*2に古寺多見氏が答えて下さっている。先ずは謝意を述べておきたい。
古寺多見氏は中島氏の『「リベラル保守」宣言』の「はじめに」を引用している。それによると、中島氏が大学に入った頃、「気分的にはサヨク的な人間」だったという。しかし、その「サヨク的な気分」は西部邁の著作と出逢うことによって「打ち砕かれることにな」ったのだと。この「サヨク的な気分」が何なのか、具体的にはわかりづらいのだが、〈知識人の阿片〉ならぬ知識人のシャブである軽薄な「進歩主義」だと勝手に想像してみる*3。シャブ断ちのための西部邁だったら、渡部昇一よりも副作用が少なくていいんじゃないの、とは思ったりもする。
「大衆の支持を当てにした大衆への罵倒」って、マイナー化したビートたけしだよ。
murharnstkt*4 2013/11/17 15:03
西部がいつ頃から右翼になったかについてですが、本人が好んで言及する(ということは政治的意図が強いのでかなり割り引かねばならない)60年安保の挫折体験はわきに置くとすれば、70年代後半のケンブリッジ留学と80年代後半の中曽根との交流が重要な点です。イギリス滞在中にチェスタトンやオークショット流の保守思想に傾倒していきましたが、現実政治へのコミットメントは控え目で、複雑な影響を無視した中曽根の新自由主義(民活路線)に対しては批判的な姿勢をとっていました。ところが中曽根から著書を愛読しているとおだてられたことをきっかけとして、一転して中曽根礼賛に走りました。私はこの時をもって右翼化完了と考えます。そして東大辞職以降、大衆の支持を当てにした大衆への罵倒という「商売上手」なスタンスの確立に成功したわけです。
ちなみに西部の著書で読む価値があるのは、「ソシオエコノミクス(1975)」と「経済倫理学序説(1983)」ぐらいだと思います。『発言者(表現者)』などはアジテーションの極みです。いったい左翼過激派の何を反省したのでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131117/1384619110#c1384668223
私が中島岳志氏を初めて知ったのは、『ヒンドゥー・ナショナリズム』の著者としてだったが、この本のオチのひとつは、印度に行って、(日本の)体育の授業の身体の近代化に対する貢献(?)に気づいてしまったこと。
ヒンドゥー・ナショナリズム―印パ緊張の背景 (中公新書ラクレ)
- 作者: 中島岳志
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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- メディア: 新書
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*1:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51877940.html
*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131116/1384584256
*3:「保守主義」と「進歩主義」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060504/1146764157 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201796826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090213/1234550817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090604/1244090099 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090626/1245987934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091228/1262008004 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101023/1287803171で言及している。