「におい」(メモ)

チャイナ・メン (新潮文庫)

チャイナ・メン (新潮文庫)

マクシーン・ホン・キングストン*1『チャイナ・メン』から。
「におい」を巡って;


もう一つの父の場所は、わたしたちが次に移り住んだ家の屋根裏部屋だった。ある時、わたしは父の片足が天井を踏み抜き、突き出すのを見たことがあった。彼は屋根裏部屋にいたのだが、何の前触れもなく、彼の足が頭上の漆喰を突き抜けたのだ。
わたしは、彼が開かれた落し戸の下に梯子を置き放しにしておく日を待ち構えていた。わたしは台所の天井の梯子を登って行った。屋根裏部屋の空気は熱く、鳩のようなにおい*2鳩の熱い羽根のようなにおいで、ひどくむんむんしていた。よろい戸から斜めに、薄板のようになって光線が射し込んでいるずっとはるか遠くの壁の所まで、棰と桁が平行に並んでのびていた。それほど贅沢な、何もない空間が、わが家にあることをわらしは知らなかったのだ。わたしは野栗鼠のように前腕をついてからだを支え、それから桁と桁の間を踏んで突き抜けたりしないように用心して、桁の上にしっかりと平衡を保って立った。父が戻ってくる前に、わたしは梯子を降りた。(p.390)

(前略)秘密の場所はチャイナタウン*3の最もにぎやかな通りにあるのではなく、公園の前の道に遭った。道を行く者は隣の店の樽や罐の中を覗き込み、それから文房具と薬草の皿を窓に飾ってある漢方薬の店へ行き、死んだ蠅や幼虫をじろじろ眺めるので、その秘密の場所を完全に見逃してしまう(百の抽出しにしまってあった薬草の中には、蠅は混ざっていなかった)。爸爸は乾物屋と漢方薬店の間を入り、どや街の男たちが小便したり眠ったり酒瓶を棄てていったりする、ものかげに見えない戸口へ入った。そこは廃業したように見えた。目立たないから、誰も借りない。かつては家族会の事務所があったのかもしれない。窓にははっきりしない金文字で中国語と、わたしの家のそれと同じ番地が記してあった。そしてすばらしい、すばらしい、大きな橙色の老猫がウィンドウの中でうとうとしていた。下ろされた板すだれを押しのけ、毛がガラスにぴったりついていた。蝶番をやたらに付けた鉄格子ガラスを保護していた。猫は眠っているのだろうか、それとも死んでいるのだろうかと、こつこつ打ってみたら、それはまばたきした。
爸爸は鍵束から鍵を見つけ、格子を開け、扉を開けた。中は銀行とか郵便局みたいな広大な部屋になっていた。やおら、もう街路も音も、人影も、陽射しもないのだった。カウンターやテーブルが冷たい灰色の黄昏の明りの中に、水平と垂直の秩序を保っていたのである。ここでは安全だった。猫はセメントの床を駆けて横切った。そこは猫の尿あるいはユーカリの実のにおいがした。真鍮や磁器の痰壺が隅々にうずくまっていた。もう一匹、灰猫が出てきたが、わたしが追うと逃げ去った。太い脚をしたテーブルの下を、わたしは歩いた。
爸爸はバケツにおが屑と水をあふれるように入れた。彼とわたしがその混合物を手づかみして床にまくと、部屋はカーニバルのようなにおいになった。押し箒は濡れた筋を残し、わたしたちはおが屑を掃き集めたが、それはごみがついて灰色になっていた。爸爸は自分の煙草の吸殻をそこへ投げ込んだ。猫の糞もくっついてきた。油の罐でつくった塵取りの中へ、彼は何もかもすくい入れた。
箒をしまい、わたしは彼のあとをついて行ったが、壁の所に菱形をした紙の束が角のところを止められて下がっていた。それを「鴿籤」と父は呼んだ。「鴿籤札だ」たしかに、櫂形の羽根の扇風機の起こす風に、柔らかな厚い紙束は羽や翼のように波立っていた。父は使用済みの紙をいくらかくれた。博奕打ちたちは、緑と青で書かれた言葉をピンクのインクで囲んでいた。それらの言葉に賭けたのである。賭けに勝つには、どう言葉をつなげたら縁起のよい表現になるかを知らねばならなかったから、詩人でなければできなかった。父は前の晩の勝負の言葉を教えてくれた――「水の中に生える白い翡翠」「大地に生える赤い玉」、もっとも中国語ではこんな言葉の数は多くなくて「白水晶」「赤土玉」「火龍」「水龍」だった。父がペンとインクをくれたので、わたしも自分の言葉を作り出した。「河雲」とか「渓火」とか、そして「馬」や「雲」や「鳥」でたくさんの熟語を作った。一文字ずつ桝目に入った言葉をつなげる線や輪は、これまた模様を作り出していた。そう、ここが父の仕事場で、博奕打ちが言葉を組み立てると、それを記録しておくことが、彼の生計の道であったのだ。
わたしたちは博奕場開帳の準備をしていたのである。今夜ここへ、町から畑から博奕打ちたちがやってくる。サンフランシスコから舟で川をのぼり、デルタ地帯を通ってはるばる太平洋沿岸でも最も賭博がさかんなストックトン*4へやってくる。(後略)(pp.291-293)