「選挙免許制」(呉智英)

神庭亮介*1「「選挙免許制でポピュリズム防げ」 呉智英が危惧する民主主義の暴走」https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/election-license


「選挙免許制」の導入を主張する呉智英*2


――選挙免許制はさすがに極論なのでは。


自動車の運転や危険物取扱、ボイラーとか、危険の伴う作業には免許が必要です。国家の運営を誤った場合の危険度は、自動車どころじゃない。

仮に戦争になれば、交通事故よりずっと多くの死者が出る。それなのに全員無免許でいいのか、という話ですよ。

三権でみても、司法は司法試験、行政なら公務員試験がある。議院内閣制では立法府の役割が大きいのに、無試験なのは変だろうと。


――納税額や性別で選挙権が制限されていた時代から、徐々に権利が拡大されて普通選挙制が導入されました。免許制は時代に逆行していませんか。


根底にあるのは、民主主義や国民国家への疑問です。我々はなんとなく、普通選挙が絶対的な進歩であるかのように思い込まされてきましたが、全然進歩なんかしていない。

1925年、普通選挙法(※25歳以上の男子に選挙権)と抱き合わせで治安維持法が成立しました。1928年には、治安維持法の最高刑が死刑に引き上げられた。普選の後に重罰化が進んでいるんです。

しかもその後、日本は戦争の坂道を転げ落ちていく。当時はいまより国会の権限が小さかったという事情を考えても、ほとんど悪くなる一方だったわけですよ。

収入や性別で選挙権を制限するのは不公平ですが、能力の違いは考えた方がいいんじゃないか。

普通選挙制」においても、有権者は選挙権を行使するに当たって、選挙権を持たない未成年者や外国人のことを配慮することが要請される。「選挙免許制」でも「免許」を持たない人への配慮は当然要請されるだろう。ただ、配慮というのはあくまでも配慮であって、それを外から強制することはできないだろうし、強制すべきでもない。肝要なのは、立憲主義の徹底というか、憲法的な権利や自由を、民意の如何に関わらず保証するということだろうか。