「その本のあるがままの姿」

角幡唯介*1「本と向きあう白い生地」『ちくま』556、pp.16-17


「北海道の札幌南高校の図書館で司書をつとめる著者と、その図書館をおとずれる十三人の高校生の本をめぐる語らいを結実させた」(p.16)、成田康子『高校図書館デイズ――生徒と司書の本をめぐる語らい』という本を紹介するテクスト。
曰く、


今の私は自分の得意な経験に基づき、独自の世界を築きあげすぎてしまったせいで、本をあるがままに読むことができていない。私という人間のペースはすでに固まりかかっており、可塑性が少なくなってきている、偏屈になってきていると言ってもいい。どうしても本を自分の世界に引きつけ、過去に獲得した言葉を武器に本を取り込もうとしてしまう。しかし、この高校生たちはまったく逆である。彼らの人格はまだ形成途上で、透明だ。それだけに、本はその本のあるがままの姿で高校生たちの前に登場し、そして高校生はその本をあるがままの姿で受け入れることができている。そこにあるのは偏屈な解釈や打算的な思惑ではなく、何かと何かがぶつかったときの純然たる響きあいだ。彼らの言葉から聞こえてくる琴の音のような美しい旋律に、私は時折ハッとした。本をあるがままに受け入れることで彼らの内面に新しい領域が開け、そこにまた別の本が登場し、その言葉にごく自然に共鳴し、一枚のタペストリーが編まれるように新しい世界ができあがっていく。それは人生のかぎられた期間だけに可能な奇跡のような瞬間である。(pp.16-17)