「一汁一菜」

阿部花恵「家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由」http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/yoshiharu-doi-ichijyu-issai-2_n_15561352.html


曰く、


ご飯を炊いて、あとは具だくさんのお汁を作ったら十分。家庭の料理は毎日、毎食、この一汁一菜でいいんです、という提案です。料理を作ることを義務だと感じている人、毎日の献立を考えるのが大変だという人にこそこれを実践してほしい。基本はご飯と、みそ汁。毎食これだけでもちゃんと健康は維持できるんです。

献立の基本形は「一汁三菜」だと長いこと言われてきました。でも私はその常識をずっと疑っていたんですね。一汁三菜の成り立ちについて調べてみると、そもそもは神様へのお供えであり、お公家さんが食べるハレの日の料理なんですよ。ところがいつのまにかそれが和食の基本だと誤解されるようになってしまった。

一方で、高度経済成長期以降の日本では、アメリカナイズされた豊かな食卓が庶民の憧れとされるようになりました。専業主婦の女性たちは目をキラキラさせて料理学校に通って、そこで覚えた新しい料理を家で披露するのが「いいお母さんの鑑」とされていたんですね。こういった要素が組み合わさって、家庭料理のハードルがだんだんと上がってしまったのが今の日本の食卓なんです。

でも毎回の食卓で一汁三菜、つまりおかず3つを作るって大変なことですよ。そこに使う時間、エネルギー、発想力、献立のバランスと統制力を考えたら、できなくって当たり前。専業主婦のお母さんでも大変だし、仕事をしながらだったらなおさら無理でしょう。そうなったら三つ星レストランのシェフより忙しいかもわからんかも(笑)。

つまり絶対にできないようなことを要求されているのが、今の日本の女性たちなんです。男女平等といわれながらも、やっぱり女性のほうが家庭に対してより強く責任を強く感じているから、どうしてもそうなってしまうんですね。奥さんが家にいる男の人は、女性たちがそういうプレッシャーを感じていることをあまり知らない。

まあ「ご飯と、みそ汁」だけだったら、「一汁一菜」ではなくておかずなしということになるけれど。私の場合、一汁二菜ということになるのかな。肉系のおかず1つに野菜(青物)系のおかず1つということを考えている。汁と肉系・野菜系を1つに統合したおかずということだと、ポトフだろうね。たしかにポトフだと、手間が省ける上、美味しくて冬は身体が暖まる。
ところで、「アメリカナイズされた豊かな食卓」ってどんな食卓なのだろうか。あまり適切に想像できない。アメリカ的な台所ということで思い出すのは埋め込み式の大きなガス・オーヴンなのだが。