マートン話など

橋本健二*1「大震災で「格差」を忘れた日本人〜いったい何が起こったのか」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51000 *2


社会階層問題については別に言及したいネタがあるのだけれど、橋本さんの論の方を優先する。
311から6年経ったが、「震災の後になると、さっと潮が引いたように、「格差社会」という文字を見かけなくなった」という。そうなんだ! 
ちょっと長くなるけれど、「格差社会」への関心が退いてしまった背景が語られている部分を引用してみる;


人々の意識に大きな変化があったことは、世論調査の結果からも明らかだ。一例として、内閣府が毎年行っている「国民生活に関する世論調査」の結果を見てみよう。

この調査は、「お宅の生活の程度は世間一般からみてどうですか」という設問を設けていることでよく知られている。回答は「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5つから選ぶことになっていて、マスコミなどでは「中の上」「中の中」「中の下」の合計が「中流意識」と呼ばれることが多い。

真ん中3つを合計するのだから比率が高くなるのはあたりまえで、これを「中流」とみなすのは問題だが、それでも人々の意識の変化をみるのには役に立つ。

たとえば「上」「中の上」と回答するのは自分を「人並み以上」、「中の下」「下」と回答するのは自分を「人並み以下」と考えているわけだから、その比率は格差の動向を反映する。実際、1990年代後半以降には、「中の中」が減少して、「人並み以上」と「人並み以下」がともに増加した。格差拡大が人々の意識にも表われたのである。

ところが震災後になると、「中の中」の比率が跳ね上がり、その分「人並み以下」が減少した。もちろん、震災後に格差拡大が縮小して低所得者が減ったわけではない。

2014年夏に行われた「所得再分配調査」によると、日本の経済格差は震災前の2008年に比べ、年金の支給額が増えたことなどから中高齢者の一部でやや縮小したものの、非正規労働者と失業者の増加を反映して若年層で明らかに拡大したため、全体としては高水準のまま横ばい状態にある。

それでは、何が起こったのか。

国民生活に関する世論調査によると、現在の生活について「満足」と答える人の比率は、21世紀に入ってから低迷を続けていたが、震災のあった2011年から顕著な上昇傾向を示し、2013年には70%を越えた。

震災があり、不景気も続いているのに、人々の生活満足度が上がったというのか。人々の政府への要望をみると、「防災」が大幅に増えた反面、「高齢社会対策」「雇用・労働問題への対応」が大幅に減っている。

どうやら震災は、日本人の意識に次のような変化をもたらしたらしい。

震災で命を落としたり、家を失ったり、避難生活を余儀なくされている人々に比べれば、自分たちはまだまだマシだ。自分を「下」だなどとは考えないようにしよう。老後の生活や雇用、そして格差の問題などは、震災復興と防災に比べれば二の次だ、と。

準拠集団(reference group)というのを思い出した。ロバート・マートンの『社会理論と社会構造』などで論じられている*3。例えば、400人乗りの飛行機が墜落して、死亡した人、重傷の人、軽傷の人、無傷の人が100人ずつだったとする。片足切断の重傷を負ったハシモトケンジさんが死者は100名という記事を読んだら、生命が助かってよかったよ、超ラッキー! と喜ぶ筈。しかし、無傷の人が100人いたということを知ったらどうだろうか。多分、俺は何て不運なんだ! これってちょっと不公平じゃない? と神仏を呪うかも知れない。まあ満足度のようなものはどんな他者を比較判断の基準にするのかによってまるっきり変わってくる。或いは、欲求水準の高低によっても。だから、権力者は上を見るな、下を見ろという感じで人民を誘導するわけだ。
社会理論と社会構造

社会理論と社会構造

ところで、「格差社会論」の退潮と軌を一にしているのかどうかはわからないけれど、「マイルドヤンキー」というのは広く喧伝されるようになったのはやはり311以後じゃないだろうか*4
さて、橋本氏のエッセイの後半では、1965年のSSM調査が紹介されている。

1965年に「社会階層と移動全国調査」という調査が行われた。実はこの調査は、1955年から10年おきに行われているのだが、この年だけは調査の項目が他の年よりも詳しく、調査対象者の祖父・父親・本人の職業、子どもの学歴を尋ねている。

つまりこの調査データを用いれば、格差が3世代後の子孫にどのような影響を与えているかを確認できるのである。しかも家が農家の場合は、地主・自作・小作の別まで尋ねている。


父親の学歴は、祖父が地主だと高く、小作だと低い。本人の学歴は、父親が地主だと高く、小作だと低い。ここまでは、まあ当然だろう。

それでは祖父の学歴は、3世代後にあたる本人の子ども(つまり曾孫)にどのような影響を与えているか。

地主の曾孫の大学進学率(短大を含む)は、男性が35.7%、女性が36.4%だった。自作だと、男性が17.0%、女性が14.6%。そして小作だと、男性が11.1%、女性が4.3%である。大学進学率には、男性で3.2倍、女性で8.5倍もの差がある。

格差社会論」の重要な論点のひとつに、「格差の固定化」があった。親の格差は子どもの進学や進路選択に影響し、子ども世代に機会の不平等が生まれる。こうして富裕層の子どもは富裕層に、貧困層の子どもは貧困層になりやすくなる、という問題である。

こうした問題があるとすれば、「機会の平等が保証されていれば、競争の結果として格差が生まれても問題ない」と単純にはいえなくなる。なぜなら、親世代の結果の格差は、子どもの世代の機会の格差を生み出すからである。

そして上の分析結果は、こうした機会の格差が、子ども世代のみならず孫、曾孫の世代にまで影響すること、つまりいったん拡大した格差は、数世代後にまで影響することを示している。文字通り、格差は末代まで祟るのである。

もう20年以上前になるのだけれど、東亜細亜の大学生(日本、中国大陸、台湾、韓国、タイ、在日留学生)の比較意識調査に参加したことがある。その時、確か根橋正一先生の発案で祖父母の代に遡って学歴を訊ねるということをしたのだった。その頃は気づかなかったけれど、根橋先生は1965年のSSM調査を念頭に置いていたのかも知れない。因みに、この調査の知見は根橋先生の『上海――開放性と公共性』*5で参照されている。
上海―開放性と公共性

上海―開放性と公共性


いま格差拡大が深刻なのは、20歳代と30歳代である。

家族形成の時期を迎えつつあるこれらの世代の内部の格差は、今まさに、子ども世代の格差を生み出しつつある。10年もすれば、これが進学機会の格差となって表われる。さらに10年もすれば、経済格差となって表われる。

こうして今日の格差拡大は、以後数十年にもわたって日本社会に影を落とし続けるだろう。

さて、何をなすべきなのか。