- 作者: 天野正子,木村涼子
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2003/04
- メディア: 単行本
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天野正子、木村涼子編『ジェンダーで学ぶ教育』*1を読了したのは4月のことだった。読了した直後に編者のひとりである天野正子先生が亡くなったことを知り*2、何たる偶然! と思ったのだった。
勿論、狭義の「教育」を正面から論じた章も少なくないのだけれど、ジェンダーと各ライフ・ステージを軸とした社会学入門として読むことも可能だ。それを可能にした仕掛けのひとつは「教育」概念の再検討を含むところの「社会化」という概念であるといえるかも知れない。天野正子先生の「この本の扉に――ジェンダーがひらく教育の地平」から;
0 この本の扉に――ジェンダーがひらく教育の地平(天野正子)
1 いろいろな性差、これらはすべて生まれつき?――ジェンダー概念の意義(木村涼子)
2 「女」になる、「男」になる――ジェンダーの発達心理学(伊藤裕子)
3 女性キャラはなぜ一人?――アニメやマンガにおけるジェンダー(木村涼子)
4 テレビゲームは男の子の世界?――電子メディアの文化とジェンダー(諸橋泰樹)
5 男の子はいつも優先されている?――学校の「かくれたカリキュラム」(笹原恵)
6 家庭科は誰が学ぶもの?――〈ジェンダー再生産の象徴〉を超えて(堀内かおる)
7 男女いっしょの体育は無理?――スポーツ・身体とジェンダー(熊安貴美江)
8 男の子は暴力的なのか?――暴力を肯定する生と性を超えて(中村正)
9 女の子が群れるということ――少女たちの社会化(古久保さくら)
10 「ジェンダー・フリー」をいかに学ぶか?――相互行為としての授業(上田智子)
11 性について学ぶ――性的自己決定力を育む性教育(中澤智恵)
12 学校から職場へ――ジェンダーと労働市場(尾嶋史章)
13 女性は自然に母親になる?――母性愛の神話と「母親業」(沢山美果子)
14 大人の「男」と「女」は変わらない?――成人期のジェンダー意識の変容(多賀太)
15 「生と老い」の自画像――性差別のパラドックスを超えて(天野正子)
BOX
スカートをはいてみた私――「キモ〜!」の声が、ちょっと嬉しい(中村英一朗)
保健室の温もりは母の愛?(秋葉昌樹)
「女性は”俺のもの”」?――ドメスティック・バイオレンス(DV)の現場から(豊田正義)
「あなたは生きている化石」か?――男子進学校・家庭科の現場から(小谷敦子)
なぜ、女子大なのか?(寺崎昌男)
少女のセクシュアリティ(宮淑子)
「ワーク&ライフ・バランス」社会へ(中島通子)
おばあさんの世紀、おじいさんの世紀(樋口恵子)
著者紹介
索引
「社会化」ということでは、14章の多賀太「大人の「男」と「女」は変わらない?」からも切り取っておいた方がいいか。
大多数の人たちが、教育といえば、学校教育をさすと考えている。そう考えるのは当然かもしれない。しかし、教育が学校教育と同義語になったのは、近代的な学校制度がつくられ、文化の伝達が学校に集中するようになってからのことである。
学校がなかった時代にも、人は生まれ、育ち、暮らし、老いて死を迎え、その一連の過程をくりかえしてきた。生きているかぎり、誰もがどう生きるかという課題とむきあうのを避けることはできない。生きていること自体がそうした課題をつくりだすのであり、その課題とむきあいながら生きる連続的な過程は、「わたし」という人間がつくられ、「わたし」という人間をつくっていく営み(=社会化socialization)に他ならない。教育を「社会化」ととらえるなら、人間の一生は教育の連続的な営みである。ここから教育の目的とは何かがみえてくる。一人ひとりが「わたし」の固有の価値にめざめ、「わたし」が出会う、どう生きるかの課題を解く力を習得していくという教育の目的が……。
教育がこのように連続する営みであるとすれば、それはまた、社会生活のあらyるう場面でおこなわれることになる。日常生活における他の人びととの相互関係のなかで、もちろん学校という専用の教育の場で、そして情報化社会といわれるメディア空間のなかでおこなわれるさまざまな意図的・無意図的な営み――それらすべてが、教育を構成している。子どものおむつをとりかえるという「ふれあい」のなかにも、死にいくものの「看取り」のなかにも、教育の営みがある。(pp.5-6)
(前略)私たちは、ともすれば大人というのは人間の完成体で、もはや成長しない存在であるかのように思いがちである。実は、人間の成長を扱う心理学や社会学にも、最近まではそうした傾向がみられた。心理学や社会学では、人間の心理的・社会的成長を「発達」(development)や「社会化」(socialization)という概念を用いてとらえようとするが、これまでの発達研究や社会化研究の対象は、圧倒的に子ども期に集中していた。多くの研究者が、暗黙のうちに、人間の発達や社会化は成人期までに完了しているとみなしてきた。
確かに、成人期以降には、身体的な成長をはじめとして、子ども期ほどの著しい変化はみられない。しかし、大人になったからといって、発達や社会化が完全にストップしてしまうわけではない。人間は成人後も十分変化する可能性を秘めている。むしろ、現代社会に生きる私たちは、成人後の発達・社会化が要請されている。
現代社会において、成人期の発達・社会化が必要であるのは、つぎのような理由による。第一に、就職、結婚、出産、退職など、ライフサイクルの展開にともなう役割の変化に適応するため。第二に、技術革新や社会意識の変化などの社会変動に適応するため。第三に、地理的な移動や社会移動にともなう生活様式の変化に適応するため。第四に、病気や身近な者の死などの予期せぬ出来事を経験した後の人生を再編するためである。いずれにせよ、複雑で変化の激しい現代社会に適応しつづけるためには、子ども期の発達・社会化だけでは不十分であり、成人期の発達・社会化がより重要になってくるのである。(pp.246-247)