「教育困難校」問題

教育困難校に勤務してるけど、もう無理」http://anond.hatelabo.jp/20170207224412 *1



そりゃ大変だと思う。胸に詰まったものを吐き出してデトックスする場として「はてな匿名ダイアリー」が機能するというのはいいことだと思う。しかし、と一方で思う。「教育困難校」或いは「底辺校」問題*2というのは最近始まったことではないだろう。1980年代でも、高校教師は夜中に警察から電話がかかってきて、警察に捕まった生徒の身柄引き取りに行かなければいけないということがあった。卒業式での〈お礼参り〉問題というのもあって、機動隊が出動しての戒厳令的体制の中で中学の卒業式が行われるということもあった。また、「教育困難校」問題は日本だけにあるわけでもないだろう。洋の東西を問わずというか、経済の発達の度合いを問わず、或いは体制の在り方の違いを超えて、こういう問題はグローバルに存在する筈なのだ。この先生は孤軍奮闘されているようだけど、数十年の間に蓄積された駄目生徒対応のノウハウというのはないのだろうか。例えば生徒の吐く暴言を如何にやり過ごすのかという研修はないのだろうか。また、暴言に傷ついた教師をケアするカウンセリングみたいなものはないのだろうか。そういうことを考えた。
さて、


別に学校に来なくたって社会で生きていける奴はたくさんいるんだよ。学校だけが世界じゃない。全然学校にこだわる必要はない。

学校が苦しいなら、いくらでも道はある。

勉強も、コミュニケーションも、経験も、学校以外でもできるようにしてくれている大人がたくさんいる。

だから、別に無理して学校に来る必要はない。邪魔だから退学しろ、ではなくて、きっと君にもっとぴったりの道があるよ、って思ってしまう。

高校は、社会に出てから少しでも苦労しないように色々経験するところで、好きにやりたいなら、社会に出たらいい。

これはもしかして、昔と今の違いに関係があるのかも知れない。学校の教師って、将来という時間を持ち出して、生徒を統制しようとするところがあるじゃないですか。いうこと聞かないと、大学に入れないぞとか、いい会社に就職できないぞとか。1970年代或いは1980年代だったら、教師がそんなことを言っても、家の商売継ぐもん! とか職人になる! という奴はけっこういたわけだ。その頃は(実際かなり危機は深まっていたにしても)商人や職人や農民といった自営業者(旧中間層)をコアとする地域社会はまだ活きていたといえるだろう*3。それに対するプロレタリア化の進行。近代化の進行ということでは当たり前なのだろうけど、社会が正規/非正規の賃労働者から構成される度合いは強まっている。そうすると、自らの労働力をより高く売るために「学校にこだわる」傾向もまた強くなるわけだ。
さて、同じ増田の


「これであってんのかな」http://anond.hatelabo.jp/20170208024242


「やりがいの搾取」ということだけど、その一方で「やりがい」も取り上げられたら、もうやってられねぇよということになる。

*1:Via キャリコネ編集部「「毎日、授業にもならなくて、ババアとか死ねとか言われまくって」 現役教員が匿名ブログで「教育困難校に勤務してるけど、もう無理」と吐露」https://news.careerconnection.jp/?p=31106

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091110/1257844756 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161022/1477096066

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070509/1178732245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090702/1246567126 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313606094