大岡昇平『幼年』

幼年 (講談社文芸文庫)

幼年 (講談社文芸文庫)

大岡昇平『幼年』*1を数日前に読了。


一 新小川町の家
二 赤十字病院前
三 氷川神社前の家
四 稲荷橋付近
五 渋谷第一小学校
六 宮益坂界隈
七 大向橋の家


初刊本あとがき
文庫版へのあとがき
高橋英夫「永遠の子供」(解説)
作家案内(渡邉正彦
著書目録

大岡昇平の自伝。これは物心がついてから小学生時代までなので、それ以降については『少年』に譲らなければならないだろう。
以前にも引用したが、大岡は「渋谷という環境に埋没させつつ、自己を語るのが[本書の]目的である」と述べている(p.7)。つまり、本書は子ども時代の大岡昇平の形成に与り、また彼によって生きられた〈渋谷〉についての本でもある。また性的なものへの目覚め(p.42ff.)、自らの性別への違和感(p.91ff.)、自らの「盗癖」の告白(p.140ff.)。
さらに確認しておかなければならないのは、ここでは想起され、語られる〈私〉の自明性は成立していないということだろう。大岡昇平にとって子ども時代の大岡昇平は(自分でありながらも)かなりの他者性を有した者なのである。それは例えば自らによる記憶と他者による記憶との齟齬というかたちで現れる。大岡は、本書を書くため、渋谷の氷川神社付近の住人で、自分よりも8つ年上の「小沢松太郎」という人に会う(p.53ff.)。

私にとってショックだったのは、私の家の右隣に「染物屋」なんかなかったということだった。
「この通りには、うちから鍛冶屋まで店はなかった。しもたやばかりでした」
「おかしいなあ、表から入ると土間になっていて、そこに盤台なんかがあって、女の子がいて遊んだんですがね」
「店はなかったね」
「その向い側に、路地が入ってて松が植ってて突当たりにお邸があったでしょう」
「ああ、それは神子島さんだ。しかし松はなかったよ」
私は自信を失ってきた。染物屋が紺屋なら、職人もいなければならない。布を染め上げる釜とか物干場がついていなければならない。松太郎さんは当時十二歳で私より大きかっただけではなく、その後ずっとここに住んでいるのだから、この人の言葉ほど確かなものはない。
「宝泉寺の石段へ行くまでに桜はあったでしょうね」
「ああ、あそこは桜や梅が植っていた」
しかし染物屋の女の子は私の恋人で、はっきりした記憶が固定しているので、私も譲れなかった。結局そこのしもたやは洗張りかなんかを内職にしていたんだろう、ということで折れ合った。(pp.56-57)
ところで、渋谷というトポスに深く関係している本として、佐野眞一『東電OL殺人事件』があるな*2。円山町から神泉にかけて。
東電OL殺人事件 (新潮文庫)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)