1980年代から

中国や印度(の特に農村部)においては男の子の出生が望まれ、そのため、女児の場合の選択的中絶が横行し、その結果としての性別バランスの失衡が問題になっている*1。反対に日本では女の子の方が好まれるという。柏木惠子『子どもという価値』(中公新書、2001)に厚生省人口問題研究所(現・国立社会保障・人口問題研究所)の『出生動向基本調査』のデータが引用されている(p.18)。男の子を望むのか女の子を望むのかという質問に対して、「男の子」と答えた割合(%)は、


1972 52.1
1979 44.3
1982 51.5
1987 37.1
1992 24.3
1997 25.0

「女の子」と答えた割合は、


1972 19.2
1979 25.2
1982 48.5
1987 62.9
1992 75.7
1997 75.0


これによれば、逆転が起きたのは1987年である。
柏木氏は先ず子どもの労働力としての「経済価値」がなくなったからだという(p.19)*2。でもそれだけでは、女の子の優位は説明できない。柏木氏の説明によると、


(前略)親には子に相続させる財産も家業もなくなりました。子どもはサラリーマンとなり、せいぜい妻子を養うのに精いっぱい、親への経済的な支援を子どもに期待することは、もはやできなくなりました。だからといって、長期的な子どもの価値がない、全く何も期待しないか、というと、そうではありません。せめて精神的な面で老後を支えてほしいと、親は子どもに望むようになりました。
この点からみると、息子よりも娘の方がなにかと有用です。息子は結婚するとあまり親のところに寄り付かなくなる、それに比べて娘は結婚後も頻繁にやってくるし、来れば話し相手になる、一緒に料理や買い物をする、なにくれとなく手伝ってくれるなど、密度の濃い交流があるものです。このように、親が子どもから得られるものが、娘からの方が大きくなったのです。
女児願望が強くなったことには、もう一つ、子どものために親が要する心身エネルギーや経済資源が、男児よりも女児の方が少なくて済むという事情があります。男の子には女の子より高い教育を受けさせるのが通例で、それだけ余計、学資がいります。子育ても、女児は男児よりも概して手がかからず育てやすいものです。そのためでしょう、育児不安は女児よりも男児の親の方が概して強いですし、育児や発達相談に来るのも男児の親の方が多いのが現状です。このように、男児の方が親にとって物心の負担が大きいのです。(後略)(pp.21-22)
柏木氏の解釈の妥当性はともあれ、女性のステイタスが向上したからということではないようだ。
子どもという価値―少子化時代の女性の心理 (中公新書)

子どもという価値―少子化時代の女性の心理 (中公新書)

*1:これについては、例えばMara HvistendahlのUnnatural Selectionを参照されたい。Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120501/1335885805 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120704/1341365028 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130615/1371261003 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131004/1380855220

Unnatural Selection: Choosing Boys Over Girls, and the Consequences of a World Full of Men

Unnatural Selection: Choosing Boys Over Girls, and the Consequences of a World Full of Men

*2:農村部では今でも「男児願望」が見られるともいう(p.21)。