或る蔵書の話

李萌「避難猶太校長托付千冊書籍 上海一家三代接力守候70年」『東方早報』2013年10月17日


約2000冊の本の話。
1940年代、基督教牧師の林道志は日本占領当局が上海の虹口に設置した「無国籍難民限定居住区」内の教会学校の校長をしていた。教会学校にはユダヤ人難民の子どもも通っており、林はユダヤ人学校校長の「卡爾」*1ユダヤ難民子弟の補習を手助けしてもらった。1943年に、卡爾は上海を離れて独逸に戻ろうとするが、その際に蔵書(独逸語、英語、ヘブライ語)2000冊余りを林に託して、必ず戻ってくると言い残し、上海を後にした。その後、林は本とともに浙江省黄岩*2疎開し、戦後上海に戻ってきた。1947年に林は卡爾からの手紙を受け取り、卡爾が公務員として働きはじめることを知った。文化大革命中、本は紅衛兵に押収され、燃やすために広場へ運ばれたが、突然「狂風」が吹き始め、本を燃やせば回りの家々に火が燃え移る可能性が出てきたために焚書は中止され、本は林の手許に戻った。1981年に林道志は93歳で死去、本を守り続けるようにという遺言を残した。現在は、林道志の義理の娘(息子の妻)である潘碌女士の自宅に本は保管されているが、その家が再開発のための取り壊しの対象になっていることもあり、潘女士らは「上海猶太難民紀念館」に保管してもらうことを希望している。また、最終的には、本の本来の持ち主である 卡爾またはその親族に会いたいと思っている。
この記事を読んでいて、先ず疑問に思ったのは、1943年に何故上海のユダヤ人学校校長が独逸に戻ろうとしたのかということだった。独逸降伏はまだ先。1947年の手紙にクリスマス・カードが同封されていたということなので、多分卡爾は非ユダヤ人、クリスチャンなのだろう。その手紙には、以前住んでいた家(岳父の家)に到着したばかりであること、その家は戦争による破壊がなかったことなどが記されている。1943年と47年の間、何処にいたのか。
上海のユダヤ人については、(何度目かはわからないが)榎本素子『上海 多国籍都市の百年』*3の第5章「ユダヤ人の苦難」をマークしておく。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110330/1301461024

上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)

上海 - 多国籍都市の百年 (中公新書)