伊丹か奈良か

『読売』の記事;


清酒発祥は伊丹?奈良?…「乾杯条例」でバトル

 「清酒発祥の地」を称する兵庫県伊丹市奈良市が、それぞれ日本酒での乾杯を奨励する条例の制定を目指している。

 伊丹市は1600年頃、地元の商家が最初に清酒を生み出したとして26日に条例を可決。この1世紀以上前に造ったとする奈良市は25日、市議会に乾杯奨励の条例案が提案され、11月に審議入り。条例案はいずれも発祥地とうたっており、論争が過熱しそうだ。

 伊丹市によると、豪商・鴻池家の始祖にあたる山中幸元が、誤って濁り酒のたるに灰の入ったざるを落とすと酒が澄んだという。これが清酒の誕生といい、江戸で評判を集め、鴻池家繁栄の基礎になったという。

 同市鴻池の公園には、由来を刻んだ1784年建立の石碑が残り、この15年後に発行された「日本山海名産図会」で「伊丹は日本上酒の始(はじめ)とも言うべし」と紹介。市は2000年、同所に「清酒発祥の地」の石碑を建てた。

 一方、奈良県酒造組合によると、15世紀半ばには、正暦(しょうりゃく)寺(奈良市)で、こうじと蒸し米の両方に精白米を使い、透明度の高い酒が完成。県内の蔵元なども2000年、同寺に「日本清酒発祥之地」の石碑を建立した。

 山本長兵衛・同組合副会長は「奈良が発祥の地というのが定説。伊丹はうちの技術を使い、清酒の生産を始めた」と譲らない。

 日本酒での乾杯条例は、日本酒で乾杯する習慣を定着させ、低迷する消費の拡大を目指す。日本酒造組合中央会によると、25日現在、佐賀県京都市兵庫県西宮市、福島県南会津町など計12自治体が可決している。

 全国の酒場を訪ね歩くBS番組で人気の吉田類さんの話「人々は工夫を重ね、おいしい日本酒づくりを追求してきた。発祥の地はどちらでもかまわないが、起源に注目した盛り上がり方があってもいい」
(2013年9月29日11時06分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130926-OYT1T00615.htm

伊丹だと思っていた。ただ奈良の方が時期としては早いわけだ。「伊丹はうちの技術を使い、清酒の生産を始めた」という奈良側の主張も、その時間差の存在によって、けっこうすんなりと酒肴もとい首肯させられてしまう。ところで、俺が記憶している清酒の起源の話では、「灰」を酒樽にぶち込んだのは鴻池のところの丁稚で、ぶち込んだのは「誤って」ではなく、主人に叱られた腹癒せのため*1。また「鴻池家の始祖」「山中幸元」は、あの「尼子十勇士」の山中鹿之介*2の子どもである*3。なお、Wikipedia「山中幸元」の項では、「清酒」の起源を巡って、

山中幸元は伊丹の地で遅くとも慶長の始めには酒造業を始めており、慶長4年(1599年)には江戸送りを開始している。馬による輸送で、江戸送りの元祖といわれた。折からの江戸時代の始まりと相揃って事業は発展拡張した。商号は地名をとって鴻池屋と号した。

又この頃清酒を開発したために事業が飛躍したといわれ、摂陽落穂集等多数の文献に清酒の伝承が語られているが、鴻池山中屋の店で、叱られた手代が腹癒せに酒樽にかまどの灰を投げ込んだために濁り酒が豊潤な清酒になったというものである。本格的な清酒の生産は我国の最初とされる。

と記述している。