息子から父へ?

承前*1

大石内蔵助伊藤仁斎の講義中に居眠りした問題のネタ本『先哲叢談』の問題の箇所(の読み下し)がhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/prede_04.htmで読める*2
また


「伊藤梅宇『見聞談叢』三則」http://longivy.cocolog-nifty.com/zassi/2006/08/post_4b6a.html *3


伊藤仁斎の次男、 伊藤梅宇*4の随筆『見聞談叢』*5によれば、梅宇は江戸出立前の大石主税に会っているという*6。『見聞談叢』には、主税のほか、小野寺十内(秀和)や(『忠臣蔵』世界では悪役の)大野九郎兵衛についての記述もある。しかし肝心の内蔵助についての記述はない。息子には会っているというのに。このエントリーを書いた人は


大石内蔵助が仁斎の塾で学んでいた時に居眠りをして云々という逸話(『先哲叢談』)について言えば、ほぼ間違いなく虚説だと言えよう。大石本人と古義堂にわずかでも関わりがあれば、梅宇がここに漏らすはずはないからである。
と述べている。まあ『先哲叢談』のエピソードを紹介していた俵木氏も「疑うむきもある話なのでありますが」(『文明と野蛮の衝突』)と但し書きをつけていたのだが。しかし、このblog作者は内蔵助が仁斎の門人だったこと自体を否定しているようだ。『見聞談叢』の記述からだと、大石主税が古義堂の塾生だったとは読めない。とすると、内蔵助居眠り説は、先ず大石主税伊藤仁斎の門人だったとされて、然る後に父親の内蔵助と置き換えられたということか。また大石内蔵助=昼行灯というイメージが定着した後だろう。
文明と野蛮の衝突―新・文明論之概略 (ちくま新書)

文明と野蛮の衝突―新・文明論之概略 (ちくま新書)

さて、赤穂浪士とも関わりがあった国学者荷田春満*7。春満が伊藤仁斎の弟子だったかどうかは確認できていない*8。伴蒿蹊『近世畸人伝』でも伊藤仁斎との関係は記述されていない*9。勿論赤穂浪士との関係も。しかし影響関係は明らかだろう。著書に『万葉童子問』『伊勢物語童子問』があるわけだから。(仁斎の主著のひとつである)『童子問』というタイトルをいただいちゃった本というのは江戸期にはほかにないのではないか*10
近世畸人伝 (岩波文庫)

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童子問 (岩波文庫 青 9-1)

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