死ぬのは誰?

村上福之「自殺するのは「若者」ではなく「おまえら」:国内自殺者3万人の実態 」http://blogs.bizmakoto.jp/fukuyuki/entry/4983.html


曰く、


日本の自殺は30-60代の無職のオッサンが大多数
女性は比較的自殺しない
学生の自殺は2-3%くらいで、チョコボール銀のエンゼルより少ない。

(1)自殺者の7割が男性(おい!)。
(2)自殺者の7割が40歳以上。50代が中心。つぎは60代。
(3)自殺者の6割が無職
先ず30〜60代の男性に自殺が多いというのは(少なくとも社会学的理屈の上からは)ノーマルなことなので、取り立てて驚くべきことでもないと思う。自殺を動機付けるのは何と言っても、ミクロ/マクロの社会関係(人間関係)において発生する様々な悩みだろう。30〜60代の男性というのは私生活においても職業生活においても、様々な社会関係に最も活発にコミットする年齢層である。故に自殺するリスクも高くなる。逆に学生などの若者はまだコミットする社会的な柵(絆)も(「オッサン」と比べると)それほど多くない。これは「女性は比較的自殺しない」ということも説明するだろう。エミール・デュルケームは『自殺論』*1で、「女子に自殺や殺人が少ないのは、女子が男子と生理的なちがいをもっているからではなく、女子が男子ほど集合生活に参加していないからである」(宮島喬訳、p.433)。男女平等が進めば女性の自殺率は男並みに増加することもまた推測されるのだが。
自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

村上さんのこの文章の問題点として、時系列的な変化を無視していることがあるだろう。実数はともあれ、倍増しているものや激減しているものとほぼ安定しているものでは、前者に注目が集まるのは当然の話だろう*2。さらに、世代別の人口格差ということがある。少子化のトレンドの中で、年齢層が下がれば下がるほど、世代人口は少なくなる。だから(もし仮に自殺を誘発する因子が同じだと強引に仮定したとしても)人口学的なヴォリュームがそもそも厚い上の世代の自殺者数は自然と多くなる筈だ。だから世代間比較をやるなら、各世代の総数を分母にして世代毎の自殺率を割り出さなければならない*3
ところで、村上さんのいう「独身50代鬱病童貞職歴ゼロ加齢臭MAXのオッサン」というのは寧ろ自殺しにくいのではないかと思う。「無職」の自殺が多いということだが、これは不況や病気等の理由で最近「無職」になった人が多いのではないか。つまり突然の下降的変化。それに対して、「独身50代鬱病童貞職歴ゼロ加齢臭MAXのオッサン」というのは低いQOLに長期に亙って適応してきたのであって、今更自殺するというのは考えにくい。寧ろ突然宝籤に当たったとか突然彼女ができて童貞を捨てることができたという〈幸運〉の方に用心すべきだろう。「鬱病」だが、「鬱」が最悪の時期にはそもそも自殺をする気力さえ削がれてしまうので自殺は起こりにくく、自殺念慮が強まるのは寧ろ恢復期だろう*4。さらに「鬱病」は〈変化に対する反応〉であるとも言える*5。だから左遷や降格も出世もともに「鬱病」を誘発しうるし、失業も就職もともに「鬱病」を誘発しうる。また引っ越しも。
さて、

100年ぐらい前にフランスの社会学者デュルケムが、自殺の原因は何かを探り、

その人が社会にどれぐらい包摂されているか、
その人が所属している社会の一体感・統合の程度がどれぐらいか、

これが人間の自殺の有無の可能性をもっともよく説明する、と結論してます。
このエントリーの内容が「まさに!」という感じでちょっとびっくりしました。
(ちなみに私は最近デュルケムの『自殺論』を読んだだけのただのミーハーです・・偉そうですいません)
http://blogs.bizmakoto.jp/fukuyuki/entry/4983.html#comment-13243

というコメントあり。『自殺論』を途中までしか読んでないだろ!? これは所謂「自己本位的自殺」。逆に「社会の一体感・統合の程度」が上がれば、「自己本位的自殺」が減る一方で、集団主義的な自殺が増える可能性が高まる。日本の神風特攻隊や中東の自爆テロ

さて、呉飛という人の『自殺作為中国問題』という本*6を捲っていたら、どの社会でも都市の壮年男性の自殺率が(上述の理由で)突出する筈なのに、中国においては何故か農村女性の自殺率が突出しているという議論が行われていた。またそこでは、中国農村における自殺の多くは農薬の飲用によるものであって、救急医療体制が整った環境においては迅速に病院に搬送されて胃洗滌が行われるので、自殺率は大幅に下がる筈だという議論もあった。自殺統計では〈未遂〉はオミットされている。しかし社会問題としての自殺を議論するならば、実践的な意味においても、〈未遂〉も込みで議論がなされなければならないだろう。それは、偶々成功してしまった事例にのみ基づく議論よりもさらに重要な問題を社会に向けて提起する筈だ。

ところで、デュルケームは『自殺論』以前に、自殺率と出生率の反比例関係を提起しているが(宮島喬先生の『自殺論』への「解説」pp.557-558。また本文pp.232-233)、これについてのその後の実証研究はどうなっているのか。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070112/1168571361 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100917/1284736710 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120107/1325897887

*2:See eg. http://b.hatena.ne.jp/hidex7777/20120618#bookmark-98255358

*3:統計における「分母問題」については最近http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120601/1338563241で言及した。またsimplelifeという人が以下のようにコメントしている;「自殺率でみると、最近は30代、40代、50代がほとんど同じになりつつある。人数で見れば団塊世代は多いのが当たり前。全体から見ると自殺率は50代が急速に下がっているのが顕著な傾向。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2740.html」(http://blogs.bizmakoto.jp/fukuyuki/entry/4983.html#comment-13241

*4:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091019/1255884330 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100220/1266675362

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060727/1154012155 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110924/1316802079

*6:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201669717