宅間に抗い

finalvent*1「死刑をなくすということ」http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/07/post-6fec.html


finalvent氏が「死刑廃止論者」であることを知る。


私が死刑廃止論者になったのは、21世紀に入ってからである。というのも、2001年の附属池田小事件*2がきっかけだったからだ。この事件で無防備な小学生8人を殺害した宅間守*3に彼の望みである死刑を与えてはいけないと思った。この人間を自然に命尽きるまで生かせて、その口から自らの意思で悔恨の言葉を公にするのを聞きたい、そして、その命が尽きるまでその罪に苦しんでほしいと思ったからだ。
この動機というのは十分に共感可能だ。また、「死刑廃止論」を安易に「リベラル思想」に結びつけるなということも。亀井静香氏は「リベラル」からは遠い人だろうけど、一貫した「死刑廃止論者」である*4。また、平安時代も数百年間に亙って「死刑」が存在しなかった。「死刑」が復活したのも、押し詰まった保元の乱の始末において。
私が死刑制度に反対する理由はhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060127/1138329871で考えたことがある。