「スペクタクル」化として

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110821/1313861365に対して、


nessko*1 2011/08/21 12:14 モンドは見世物小屋スピリットの原点かもしれませんね。70年代の映画のエログロブームは、テレビで流せないものをやらないと客が呼べないということから起こったのでしょうが、映画がいかがわしい見世物だったころから存在していたゴキブリが巨大化して出てきたようで、客の側もうさんくさいなと思いつつそれを楽しむ心のゆとりがあのころはまだあったかんじもするし、今から思うと牧歌的な光景になるのかな。
佐藤優の外交裏話にはちょっとモンドの香りがするんですね。あのへんがうまいところ、佐藤優が愛される理由のひとつなんじゃないかな。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110821/1313861365#c1313896461
「モンドは見世物小屋スピリットの原点かもしれませんね」――ヤコペッティとフェデリコ・フェリーニの比較研究が必要ですね。
「テレビで流せないものをやらないと客が呼べない」ということですが、1950年代以降映画は常にTVを意識し、如何にTVと差異化するということを考えてきたと思うのですが、「モンド」も「スペクタクル」化*2の一形態、そのビンボー・ヴァージョンといえるかもしれません。日活がポルノ路線に転換したのも「テレビで流せないもの」ということだったのでしょう。ただ、1980年代に入るとTVではなくAVに負けてしまいましたが。
また、「モンド映画」はドキュメンタリズムの鬼子だったともいえます。問題は、「エロ」にしても「グロ」にしても、それをベタに追求すると、しゃれにならない領域に陥ってしまうということでしょうか。多分、日本のAVの一部はリアルとしての「エロ」の追求においてしゃれにならない領域に踏み込んでしまって行き詰ったということがあるのではないか(これについては私よりも詳しい人がほかにいるでしょう)。
佐藤優の外交裏話にはちょっとモンドの香りがするんですね」――〈落合信彦2号〉ですか。