「嫌消費」?

田島薫「消費を悪と考える「嫌消費」世代が市場で台頭!景気を低迷させかねない“買わない心理”とは」http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101208-00000001-diamond-bus_all


長らくブラウザの片隅で開かれていて、メモリを圧迫している記事。
2009年に出た松田久一『「嫌消費」世代の研究』という本について。曰く、


 本書によれば、「嫌消費」現象とは、「収入があっても、何らかの嗜好によって消費しない傾向」のこと。80年前後生まれ、現在20代後半の「バブル後世代」が「嫌消費」世代に該当するとされる。興味深いのは、彼らの中には低収入層の非正規雇用者だけではなく、しっかりした収入もあり、正規雇用者が多く含まれることが特色であるという。

 その普通の若者たちの「嫌消費」ぶりは、我々の想像をはるかに上回る。たとえば、インポートブランドよりも服はインターネット通販で買う、クーポンがないとカラオケやレストランには行かない、外食よりは1人でも家で鍋がいい、身体に悪いアルコールはいらない、といった具合だ。

「嫌消費」というのが〈嫌韓〉とかからの派生語なのかどうかは知らないけれど、ただの〈安物消費〉、〈趣味のチープ化〉じゃないの?「嫌消費」とか言うなら、自分で畑耕せよ、自分で味噌や醤油を作れよ! ということになる。まあ、これは最近世界的に流行りの〈合理的馬鹿〉*1的な思考様式からすれば、デフレ不況下においてはマクロ的にはともかくミクロ的には〈合理的〉な振る舞いであるといえるだろう*2。まあそれだけのことなのだが。
さて、さらに曰く、

彼らはいかにして、このような消費性向を育んできたのか? それは彼らが成育した時代背景に密接な関係があるという、松田氏の指摘が興味深い。

 精神の自立の時期として重要な10代で、「阪神・淡路大震災」「地下鉄サリン事件」「いじめ自殺」「金融ビッグバン」などを経験。とりわけ「いじめ問題」は彼らに深刻な影を落とし、「目立たず、空気を読んで、できるだけ深く関わらず」暮らしていくことを余儀なくされた。彼らは、何より仲間からバカにされることを恐れ、周囲から「スマート」と思われたい願望が強いという。

 そんな意識が「上昇志向」や「競争志向」「劣等感」を醸成し、「他人の顔色を見て行動する」「無理をしても他人からよく思われたい」という意識に繋がる。こういった時代体験から、共通の世代心理が生まれ、未来や将来への漠然とした不安が広がり、消費マインドが抑制されるというのだ。

ワン・センテンスで表現すれば、「周囲の空気を読みながら上昇することを目指し、ネットワークを広げながら、競争社会でサバイバルして生きていく」ということになる。
阪神・淡路大震災」の「地下鉄サリン事件」の影響を言うなら、地域的な偏りがある筈だ。「阪神・淡路大震災」の経験はあの酒鬼薔薇にも影を落としているらしいのだが、関東の人間に比べて、関西の人の精神にはより深刻な影響を及ぼしている筈なのだ。「地下鉄サリン事件」はその逆。俺自身、あの時オウムが何故だかわからないが東西線をテロの対象としなかったという偶然のおかげで今こうして生きているのだということを思い出した。また、「いじめ」或いは子どもの自殺が社会問題化したのは1980年代だ。その社会問題化に貢献したのは例えば保坂展人氏。その著書『いじめの光景』は1994年の刊行だが、その主な題材となっているのは80年代の事例である。80年代には、山口昌男先生も『学校という舞台―いじめ・挫折からの脱出』という本を出していたのだった。勿論、90年代以降の「いじめ」問題の深刻さは否定できない(例えば『いじめの光景』の続篇を見ること)。しかし、「嫌消費」とやらの世代論的根拠として「いじめ」問題を持ち出すなら、80年代と90年代の「いじめ」問題の質的差異に言及して然るべきだろうとは思う。
いじめの光景 (集英社文庫)

いじめの光景 (集英社文庫)

さて、日本的〈80後〉の人たちは「「目立たず、空気を読んで、できるだけ深く関わらず」暮らしていくことを余儀なくされた」とある。これは重要だろう。但し、世代論とはあまり関係ない。「目立たず、空気を読んで」云々というのは今まで散々〈日本人論〉とやらで聞かされてきた科白であろう。それでぴんと来たのが、(バブルの頃の)「高級品嗜好というのは、あぶく銭がいろんなところに流れて、成金ぶりっこをしてみせないと見下されて不利になるからという傾向が広範囲で出てきた上でのこと」という意見である*3。その頃「目立たず、空気を読んで」「暮らしていく」方法というのは大いに「高級品」を消費することだったのだ。それがバブル崩壊以降、「目立たず、空気を読んで」「暮らしていく」方法が〈消費を控える〉ことに変わったわけだ。つまり同調主義の産物*4。問題は同調主義がバブル以降に強化されているのかどうかということなのだが、90年代には小室哲哉*5一派が美空ひばり山口百恵といった昭和の大スターも望めなかったレコード・セールスを記録したということがあったな。
まあ、「目立たず、空気を読んで」「暮らしていく」のが主流である社会というのは、(あらゆる意味における)〈マイノリティ〉にとっては生き辛い社会ではある。〈マイノリティ〉というのは(どうしても)目立ってしまう一群の謂だからだ。
そういえば、ちょっと前に某中国人から、中国におけるファッションの歴史みたいな話を聞いた。昔のそもそもファッションという観念が存在しない、強いて言えば毛沢東こそ偉大なるファッション・デザイナーだという時代。それに続いて、迷ったならアルマーニを着ろという時代。最近ではそれもそろそろ通用しなくなった云々。