- 作者: 土佐昌樹
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2008/12/16
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- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
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承前*1
前回は梅棹が「アメリカ」をスルーしているという論点をマークしておいたが、土佐昌樹『アジア海賊版文化』における梅棹忠夫『文明の生態史観』批判についてもうちょっと詳しく。
土佐氏は『文明の生態史観』の「批判的継承」を目指すという(p.21)。或いは、「現実を虚心に見つめるならば、今やアジアを理解するためには「非生態史観」とでも呼ぶべきパラダイムに依拠する必要がある」(p.31)。
「生態史観」の「本質的な欠陥」;
(前略)生態系の違いは都市の分厚いシールドによって排除され、労働と余暇という同じリズムに沿って大多数が生きている。砂漠の民と農耕民が「同じ」都市文明の中で生きているこの時代というものに、もっと驚くべきではなかろうか。
気候の違いにかまうことなく若者はジーンズをはき、ビジネスマンはスーツで身を固める。冷凍食品やファストフードで腹を満たし、通勤と労働の辛苦に耐えたあげく休日にはショッピングモールで消費を楽しむ。学生も労働者も成績や地位の序列化という亡霊に追い立てられ、鬱積した憤懣を文化産業が提供する余暇に身銭を切って晴らすしかない。さらに、自然や伝統から切り離された人工的な環境に身を置き。こうした恐ろしいほど似通った日常を送りながら、一人ひとりは個性の表現を忘れず、また個々の国家や民族も自らの独自性を信じて疑わない。(p.26)
それは、ユーラシアをあたかも完結した系のように取り扱い、その中での歴史的進展にだけ注目したところにある。南北アメリカ、オセアニア、アフリカとの相互作用がまったく図式から欠落している。とりわけ、北米との相互作用が抜け落ちているのは、二〇世紀以降の世界を語る上で致命的な欠陥であり、その点は著者も自覚したことを後に語っている。しかし、アジアと日本の文化変容にとって、アメリカは副次的な要因として片付けるにはあまりに大きな存在である。端的にいって、アメリカを軽視したあらゆるアジア論は空論になるしかないだろう。(p.30)
ところで、梁文道『読者』*2を昨日読了。