民主裏切ったか、など

承前*1

時事通信の記事;


性描写規制条例案を可決=15日成立−都議会総務委

 東京都議会総務委員会は13日、過激な性描写のある漫画やアニメの販売規制を目的とする都青少年健全育成条例改正案を民主、自民、公明各党の賛成多数で可決した。15日の本会議で成立する見通し。漫画家らの創作活動を萎縮させるとの懸念があることを受け、条例の慎重な運用などを求める付帯決議も行った。
 改正案は、刑罰法規などに触れる性行為を「不当に賛美・誇張した」漫画などを販売規制の対象にしている。都議会最大会派の民主党などが「規制対象があいまい」と反対し6月議会で否決されたが、都は同党の意見を踏まえ内容を修正し、12月議会に再提出。同党は修正内容を評価し賛成に回った。漫画家や出版社は「表現の自由を侵害する恐れがある」として反対を表明している。(2010/12/13-15:30)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2010121300462

「東京都議会総務委員会」で「可決」されたという事実よりも、民主が裏切ったという事実の方が重いように思われる。
さて、〈正論〉*2は無力なりともいえるか;


河合幹雄「東京都青少年健全育成条例改正案の問題点と対案(1)」http://kawaimikio.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-339e.html


曰く、


問題点1、7条の2と9条の2で、「漫画、アニメーションその他の画像で、刑罰法規に触れる性行為」と近親相姦を「不当に賛美し又は誇張するように、描写し、又は表現する・・・」を規制対象とする部分。

 「刑法典に触れる性犯罪」なら、強姦と強制わいせつの類だけとなるが、刑罰法規なら、範囲が大きく広がる(詳細は山口貴士弁護士のブログを参照)。刑罰法規には、いわゆる淫行条例、東京都の場合は、この青少年条例18条の6「何人も、青少年とみだらな性交又は性交類似行為を行ってはならない。」が含まれる。したがって、高校生同士の合意に基づく性行為が対象となり、中高生を主人公にしたマンガは、性体験を肯定的に描くと規制対象となるおそれがある。「みだら」の中身しだいである。

」問題2 8条の2で有害図書指定の対処として「第七条第二号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように描写し、又は表現する・・・」をあげている部分。

 「著しく社会規範に反する性交」が拡大解釈されると、不倫、同性愛など無限に広がる可能性がある。権力の禁欲が最大限求められる表現の自由の規制としては許容できない。明確に「強姦と強制わいせつを著しく不当に賛美し又は誇張する・・・」でよいはずである。わざわざ、社会規範がでてくるのは、なぜか。私が考えてみたところ、消去法でボーイズラブをターゲットとしているとしか思えない。

 私は、漫画だから何でもありとは主張しない。歯止めは必要であると考える。その立場からは、対案を考えなければならない。


(前略)対案は、規制の盲点であった、極めて小さい年齢の子どもだけを対象にすればよい。非常に手ごろな、線引きがある。2005年5月から実施されている、性犯罪者の再犯防止のための法務省から警察庁への「出所者情報提供制度」は、13歳未満の子供に対する暴力的な性犯罪に限定している。子どもを守るには、これで十分と考える。槍玉にあがった「奥サマは小学生」も、これなら規制対象となる。

対案:

7条の2の部分、「漫画、アニメーションその他の画像で、13歳未満の子供に対する暴力的な性犯罪を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し、又は表現する・・・」を提案したい。

8条の2の部分、社会規範云々は全面削除し、「強姦と強制わいせつを著しく不当に賛美し又は誇張する・・・」を提案したい。

少なくとも〈マジョリティ〉にとっては合理的でコンセンサスを得られやすい主張だろう。勿論、「非実在」という捌け口を封じられる〈ペドフィリア*3にどう対処していくのかということが問題になるだろうし、彼ら・彼女らにも言い分はあるだろう。


内田樹「既視感のある青少年健全育成条例についてのコメント」http://blog.tatsuru.com/2010/12/10_1124.php


曰く、


最初に確認しておきたいのは、「それ自体が有害な表現」というものは存在しないということである。
どれほど残虐で猥褻な図画や文字であっても、マリアナ海溝の底や人跡未踏の洞窟の中に放置されているものを「有害」と呼ぶことはできない。どのような記号も人間を媒介とすることなしには有害たりえないからである。全米ライフル協会の定型句を借りて言えば、有害なのは人間であって、記号ではない。
「有害な表現」というのは人間が「有害な行為」をした後に、「これが主因で私は有害な行為に踏み切りました」とカミングアウトしてはじめてそのように呼ばれることになる。
有害な行為の実行に先んじて(有害な行為抜きで)、存在自体が有害であるような記号というものは存在しない。
多分、規制を促進しようとしている人たちの脳内にビルト・インされているのはきわめて単純な心理学モデルなのだろう。例えば、人間の振る舞いは


Stimulus →Response


で十分だというような。まあ〈動物化〉ということになるのだろうけど*4、こんなことで東浩紀の論を実証してどうするんだ!?