「死者」と痕跡

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小沢一郎と八尋護という人の因縁は知らなかった。
さて、曰く、


 太平洋戦争が終わって12年後、あるいは日本の切り離された本土側を日本と呼び直して主権を回復してからなら5年後の昭和32年に私は生まれた。戦後すぐに生まれた団塊世代からは一巡しているくらいの歳差もあり、私は彼らのように単純な反抗の世代とはならなかった。戦中世代と団塊世代の人たちの少なからぬ人たちは、GHQイデオロギーのままに、私の父の世代にあたる戦争世代の人びとを糾弾した。あなたたちが戦争を起こしたのだ、と。それでも戦争を選んだのだ、と。父の世代は沈黙した。反抗する世代に返す言葉は空しい。幼い私はその沈黙をじっと見ていた。年上の団塊世代も見ていた。そして平和とはなんだろうと考えた。
 なにが無謀な戦争に駆り立てたのだろうか? 私は戦争に加わった人びと、あるいは結果的に荷担した人びとの思いも探った。そこで見えてきたものは、英霊であった。死霊である。そんなことをしたら、そんなことを言ったら英霊に申し訳がない。そういう思いに支配され、呪縛される人びとを見た。私は死霊がさらなる死者を呼んでいる様を見た。
 そしてそもそも死霊などというものがあるのかと自問した。日本を二度と戦争に巻き込ませないならGHQが残した「平和」の理屈(軍国主義が戦争をもたらした)ではなく、死霊から解放されることではないかと考えた。
 その疑問がすぐに行き当たったのは樺美智子さんの死だった。端的にいえば国家権力に22歳の彼女は圧殺された。そんなことがあってよいものかという怒りとともに私が見たものは、彼女が英霊となり、彼女の死を無駄にするなとしてわき起こる暴力の姿だった。また死霊がいた。そして気がつけば、平和を渇望する思いも死霊の呼び声に答えたものばかりであった。
 戦争は過ちであった。そしてこの過ちは繰り返してはならないものだった。しかし、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というとき、それは死霊に答えているのだった。広島平和都市記念碑の前で、靖国神社の前で、私はこう言うことができるだろうか。死者はいませんよ、死霊の声を聞くのはおやめなさい、と。
先ず「真正性の水準 niveaux d’authenticité」*1が考慮されるべきだろう。「死者」といっても、具体的な名前や顔や声を持った個人と「英霊」のように具体的な名前や顔(特異性)を剥ぎ取られ〈集合名詞〉化されてしまった「死者」を一緒くたにはできないだろう。「英霊」のような〈集合名詞〉化された「死者」は具体的な痕跡を残さない*2。逆に私たちが具体的に知覚するものは、それが誰かの痕跡、人造物と解される限り、それが実際にどんなに匿名化されていたとしても、一般性には還元されない。誰か(someone)であり誰でも(anyone)ではない。勿論、その誰かに辿り着くかどうかは保証され得ないけれど。痕跡に関して、ここで或ることを思いつく。痕跡ということでは死者と正者は平等である。CDプレイヤーは死せるジョン・レノンの声も生けるポール・マッカートニーの声も全く平等に再生する。〈死者の声〉ということでは、フェリーニの『そして船は行く』をマークしておくべきか。話がかなり逸れてしまったが、「無謀な戦争に駆り立てた」ところの「英霊」だが、これを世俗的な言葉に翻訳すれば、「死者」或いは「死霊」ならぬ死んだ労働、すなわち資本ということになるだろう。今止めればこれまでの投資が無駄となってしまうという思い込み。回収の見込みがなくても、次々と資本を投じていれば、取り敢えず破綻という結末からは眼を逸らすことができる。そのようにして、段々と深みに嵌っていき、悲惨な破綻以外には事態を収拾できなくなる。勿論、こうしたことは戦争とかビジネスに限ったことではない。
そして船は行く [DVD]

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そういえば、『太平記』は何よりも死霊としての後醍醐帝が生ける足利尊氏やら楠正成やらを走らせ、物語を回転させる話だった(Cf. 松尾剛次太平記』)*3
太平記―鎮魂と救済の史書 (中公新書)

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