http://taraxacum.seesaa.net/article/163263106.html
少し前に瓜田純士という男が吉野家でゲイのカップルに丼を放り投げたことを自らのblogで自慢した事件について、その事件のあらましが、既に削除されてしまったそのエントリーからの引用も含めて纏められている。
今回の件が騒ぎになるまで、瓜田純士という名前を知らなかった。Wikipediaとか読むと、これまでいきがることによってのみ自己を支え・生きてきたようだ。そして、その自己性というか男性性は(今回の件でも)明らかなように相当脆弱なようではある。ゲイに対するヘイト・クライムというのは自己性、それを支える男性性の弱さの反映であるわけだ。困ったことに、それを〈強さ〉の現れと誤解している連中が沢山いるらしいけれど。
レゲエにおけるゲイ・バッシングを巡る話。日本における(ファンを含めた)レゲエの社会的位置づけというのがいまひとつわからない。レゲエの発祥地であるジャマイカにおけるゲイ・バッシングというのは相当前から問題になってはいるが、それが直輸入されているということはあるのだろうけど、レゲエ(或いはジャマイカ文化)の問題と日本の問題は腑分けすべきなのだろう。
レゲエにおける「ゲイ差別」に関しては、
藤田正「懲りないレゲエ・シンガーのゲイ差別:シズラ、ブジュ・バントンらの歌詞を巡って」http://www.beats21.com/ar/A07082102.html
森本幸代「私はこう考える:ダンスホール・レゲエのゲイ・バッシング」http://www.beats21.com/ar/A07111302.html
この2本を読んで感じたのは歴史的な省察がないということ。勿論レゲエに大きな影響を与えたラスタファリズムに「ゲイ差別」があったということは言えるのだろう。ラスタファリズムは異端とはいえ基督教の一派であるのだから。しかし、昔、例えばボブ・マーリーの生きていた時代において、(差別はあったのだろうけど)ゲイを殺せとか吊るせといったことは言われてはいなかったように思う。なのにどうして最近になって? という疑問はある。
ところで、こうしたレゲエ・ファンにとって、スティングの”Englishman In New York”*1とかって、やはり拒絶すべきものということになるのか。
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