フロッピーの終わり

承前*1

『読売』の記事;


さよならフロッピー、来年3月販売終了

 ソニーは23日、パソコンで作成した文書やデータを保存する記録媒体「フロッピーディスク」の販売を2011年3月末で終了すると発表した。ソニーの撤退で国内最大手の製品は姿を消すことになる。


 現在の直径3・5インチ型はソニーが開発し、1981年に世界で初めて米国で発売し、日本では83年に発売された。しかし、近年はハードディスクやDVD、USBメモリーなど新しい記録媒体に押されて需要が減少。生産は中国メーカーに委託していたが、必要な部品の調達も難しくなっており、販売を終了する。
(2010年4月24日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20100424-OYT8T00321.htm

昨年の「フロッピー・ディスク・ドライヴ」生産中止に続いて、いよいよ「ディスク」そのものの販売中止。
それはいいんだけれど、俺は1000枚以上の「フロッピー」を持っている。ということで、それを読むために「フロッピー・ディスク・ドライヴ」のあるPCを捨てることはできない。事態はさらに複雑で、フロッピーの記憶容量は世界標準では1.4MBだったが、かつてNECの98は1.2MBというフォーマットを採用していた。何時の間にかNECも98をやめて普通のウィンドウズ・マシンを作るようになり、1.2MBのフロッピーを読めるフロッピー・ディスク・ドライヴもなくなった。それを読むためには98か(1.2MBのフロッピーを読める)初期の95マシンがなければならない。やっかいなことに、そういう昔のマシンにはUSBのポートもないし、CDドライヴは読み込みだけで書き込みはできない(さらに前のになると、CDドライヴ自体がなく、私の知人で、フロッピー数十枚使ってWindows95をインストールした人がいたな)。また、ワープロ専用機のデータというのがあって、それをPCで読むためにはテキスト・ファイルに転換するソフトを使わなければならなかった。気がついたのだけれど、何台も何台もPCが溜まっていくというのは結局アウトデイティッドになった記憶メディアのデータを読む(今は見向きしなくても将来読まなければいけなくなるかも知れない)という口実によるものだ。ただ、逆にそういう古いマシンがないとしたら、「フロッピー・ディスク・ドライヴ」がなくなるということは昔の記憶(データ)が想起不可能なものとして放置されるということを意味する。というか、記憶メディアの進歩は時代遅れになったメディアに保存された膨大な情報の忘却を伴う。紙の本というメディアならそんなことを考える必要はないのだが。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081106/1225917379 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100315/1268678079