大理を巡って

承前*1

大理といっても、ここでは下関と大理古城の周辺に限定。
大理に滞在していたのは1月17〜21日と1月24〜26日。
下関は大理白族自治州の行政上・ビジネス上の中心である。ウォルマートが進出していたのには驚いた。しかしながら、以前にも書いたように、「何とも没個性的な中国の地方都市」であり*2、名所旧跡や伝統的な街並みがあるわけでもない。今回目を見張ったのは、下関の料理の多様さ。といっても、中国各地や各国の料理が食べられたりするわけではない。街には、主に米線などを提供する安い飯屋がそこかしこにあるのだが、それらは「巍山」風とか「漾濞」風とか「賓川」風とか「永平」風とか名乗っている。これらは大理白族自治州にある地名。それだけでなく、これらは例えば「巍山」の彝族風、漢族風、回族ムスリム)風というふうに細分化されている。まあ、彝族風と漢族風でどう違うのかと言われると、(少なくとも私にとっては)微妙な話になるのだが。とにかく、みな安くて美味しいというのは事実である。回族ムスリム)風ということなのだけど、〈大理のイスラーム化〉というと大袈裟だけど、下関にしても大理古城にしても、ムスリム料理の店は目立っており、一目でムスリマとわかる、スカーフやヴェールを被った女性もよく見かける。大理古城では、イスラーム国家からの観光客かと思ったが、中国語を話していたので、やはり中国の回族なのだろう。
さて、「本主」。白族の中心的な信仰は「本主」であると言われる。袪承緒、張旭『白族』*3によると、「本主」とは「本境土主」の略で、「土主」ともいう(p.137)。白語ではwuzen(『大理喜洲風物』*4、p.454。前掲の『白族』では「武増」という漢字を宛てている。「我的主人」の意)。『白族』から定義を引用しておくと、


本主是白族村寨祀奉的神祇的総称、是本村的保護神、所以有“本主”(略)一般是一個村子供奉一個本主、有的幾個村共同敬奉一個本主。各個本主之間、多数無統率関係、但同一地区的本主有些存在家族関係、如属兄弟、父子等、而以其中某一神為諸神之長、並定期挙行区域性祭祀活動。本主用泥塑或木雕刻成偶像。(後略)(ibid.)
「本主」として祀られるのは自然神や歴史上の人物である。日本の神道、地主神や鎮守の信仰に近いといっていいのだろうか。なお、私には道教の道観との区別はつけがたい。

下関の東側にある「石坪村」の「応海廟」。祭神はわからず。隣に、文昌宮がある。

やはり、「石坪村」の「南海将軍廟」。上では、1つの村に本主は1つというようなことが書かれているが、「石坪村」には2つの本主があることになる。「応海廟」とは1キロ以上離れてはいるが。「南海将軍廟」だが、玄宗の時代、唐朝は大規模な軍勢を派遣して南詔王国を攻略したものの、敗退を余儀なくされた。侵略してきた唐朝軍の将軍父子を祭神とする。今回は行けなかったが、下関には、唐朝の侵略に纏わる宗教的スポットとして、「将軍洞」と「万人塚」がある。

石坪村。白族の民家では、壁に四字の句を掲げることが多く、その文句は姓毎に定まっている。「百忍家風」は「張」姓の家である徴。

大理の象徴とも言える「崇聖寺三塔」*5。1990年にここに来たときには、ただ3つの塔が聳えていただけだったが、現在では観光地として綺麗に整備されただけでなく、何時の間にか「崇聖寺」そのものが再興されていた。

「日本四僧塔」。明代初期にこの地で遷化した4名の日本人僧侶の墓。なかなか見つからなかったのだが、「天龍八部城」の中にある。これは金庸*6の小説『天龍八部』を原作とした同題のTVドラマの撮影セットを元にした、〈金庸テーマパーク〉にようなもの。

豚を捌く。大理古城にて。

大理白族自治州は広く、今回佛教の聖地、鶏足山に行けなかったのは残念。明代の徐霞客が雲南を旅した最大の目的は、その友人の静聞和尚が自らの血で写経した法華経を鶏足山に納めることだった(井波律子『中国の隠者』、pp.175-176)。また、道教の聖地として有名な巍宝山にも行けず。

中国の隠者 (文春新書)

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