「無縁死」

J-CASTニュースの記事;


NHK「無縁死3万人」に大反響 「他人事とは思えない」コメント殺到
2010/2/ 2 19:09


誰にも知られずに死に、遺体の引き取り手もない「無縁死」が増えているようだ。NHKがこうした「無縁死」の特集を放送すると、「とても他人事とは思えなかった」「精神的に辛くなったわ」といったコメントが巨大掲示板2ちゃんねる」に殺到したほか、個人のブログにも取り上げられた。

反響を呼んでいるのは2010年1月31日放送のNHKスペシャル無縁社会〜『無縁死』3万2千人の衝撃〜」。「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」といった国の統計では出てこない「新たな死」が急増し、NHKの調べによると年間3万2000人にのぼる。このうち1000人が身元不明のままだ。
行旅死亡人」として処理される

身元不明の死者は「行旅死亡人」として処理され、遺族を捜すために性別、身長や外見の特徴、所持品、発見された日時と場所、「餓死」「凍死」など死因を国が発行する「官報」に掲載する。遺体は火葬されて一定期間、行政が遺骨を保管するが、引き取り手が現れない場合には無縁墓地に埋葬される。

番組では「行旅死亡人」として09年3月の官報に載っていた60〜80歳代とみられる男性の人生の軌跡をたどる。男性は都内のアパートの部屋でテレビを観ていた時に亡くなったようで、コタツに入り、座ったままの姿勢だった。発見された時には死後1週間以上が経過していて、アパートの大家によると腐敗臭がひどく、テレビと電気は付けっぱなしだった。

大家が保管していた契約書から氏名と仕事場が判明する。男性は給食センターで正社員として定年まで働き、20年間、無遅刻無欠勤だった。退職後は同僚との人付き合いも希薄になっていたそうだ。取材クルーは履歴書に書いてあった出身地の秋田に向かうが、男性の両親は既に亡くなり、家は都市開発で残っていない。親族の墓地が見つかったが、遺骨は無縁墓地に埋葬された後だった。同級生とも疎遠になり、同期会名簿では「消息不明者」の欄に名前が記されていた。
「画面を見ていて背筋が寒くなった」

番組を観て「将来、自分の身に起こるかも知れないこと」と感じ、不安に駆られた人が続出。放送中、「2ちゃんねる」に複数のスレッドが立った。放送から2日経った2月2日も書き込みが相次いでいる。

「マザマザと事実を見せ付けられて正直参ったよ」「精神的に辛くなったわ」という率直な意見もあれば、「その携帯とインターネットで、ほんとに人とつながっていますか? ということが問われるわな。人間関係が昔よりも薄くなってね?」「今はまだ若いから、年とった時のことなんかあまり真剣に考えられないけど親が亡くなり、友達もどんどん結婚して家庭をもち疎遠になり、老化した不自由な体でたった一人で毎日をすごす…ってのを想像したら鬱々になる」などと将来への不安をにじませる人もいる。

「お隣さん孤独に死んでた」と書き込んだ人もいる。亡くなった男性は30歳代でまじめに仕事をしていたが、遺体は「両親からも別居中の奥さんからも引き取り断られてた」と書かれている。ほかに「50代独身だった叔父が実際に孤独死してるから洒落にならん」という人もいて、身近でも「無縁死」が起こっているようだ。

また、ブログで話題のキーワードをピックアップするサイト「kizashi.jp」によると、「無縁死」に関するブログは番組が放送されるまではほぼゼロだったが、放送後から2月2日までに171件に達した。「とても他人事とは思えなかった」「私自身も『無縁死予備軍』になっていくのかもしれないと思うと、画面を見ていて背筋が寒くなった」などと個人のブログに続々と書き込まれている。
http://www.j-cast.com/2010/02/02059322.html

勿論、このTV番組は視ていないのだが、番組では長期的なトレンドは示していたのか。「無縁死」という言葉は知らなかったが、孤独に死んで・引き取り手もない遺骨の話というのはこれまでも、それこそ〈荒涼たる都市社会〉――昔「東京砂漠」という歌もあった――を物語るエピソードとして、時々はメディアによって採り上げられていたような気もする。上の記事に出てくる「無縁死」した人がまだ田舎で暮らしていた頃は、自分が死んで骨の引き取り手もないということは想像することもできなかっただろう。何故なら、そこでは諸個人は江戸時代以来の寺檀制度に組み込まれていて、仮令戦争のような災難で死んだとしても、遺体が見つかって田舎に帰って来さえすれば、親族によって定められた墓所に葬られていたといえる。しかしながら、(特に1950年代からの)産業化や都市化は寺檀制度から二重の意味で自由になった、藤井正雄先生*1の言葉で言えば「宗教浮動人口」(『現代人の信仰構造』)を析出した。高度成長期に創価学会などの新宗教に組織化された人々の多くはこうした層である。勿論、都会に出て来て新たに寺檀関係を結び直した人もいる。また、「もやいの会」*2のように「死後の住みかを共にする仲間」を作ろうとする人々も少なからずいる(特に家族を巡るライフ・スタイルの多様化と「死後の住みか」の変容の関係については、取り敢えず井上治代『墓をめぐる家族論』をマークしておく)。しかし、これから取り零された人も少なからずいるわけで、こういう人々が「無縁死」を余儀なくされるということだろう。
墓をめぐる家族論―誰と入るか、誰が守るか (平凡社新書)

墓をめぐる家族論―誰と入るか、誰が守るか (平凡社新書)

ところで、〈死後の心配〉は近代的な共済制度の端緒でもある。英国ではエンクロージャーに始まる資本主義化の波によって、大量のプロレタリアートが農村部から都市部に押し出されたが、彼らは日常的な付き合いの中から、葬式費用の共同積立を始めた。これが後に近代的な共済組合制度に発展するし、近代的な労働運動もこの延長線上にある。しかし、「無縁死」というのは世俗的な社会政策の限界も示している。社会保障にせよ介護にせよ、それは生きていている間の話であり、死んだ後は対象外だからだ。また、「家付きカー付きババア抜き(1960年頃≒50年前の言葉)、の末路がこれ」という意見あり*3。これは少しずれているといえるだろう。家族という装置を介さなくても、「死後の住みかを共にする仲間」を作ることはできるのであり、寧ろ制度に携わる人々や左翼がスピリチュアリティをばかにしてきたことのツケと言えるのでは?