「きの神」

『産経』の記事;


古代中国の怪獣「きの神」降臨か? 山梨に伝わる「一本足ご神像」のナゾ (1/2ページ)
2010.1.9 18:00


山梨県笛吹市春日居町の山梨岡神社に、木彫りで一本足の不思議なご神像が祭られている。古代中国の地理書「山海経」に登場する怪獣に似た「きの神」とされる。神社では7年に一度、春の例大祭でご開帳されるだけで、普段人目に触れることはない。現在、県立博物館(笛吹市御坂町)で特別公開中で、神とした起源の謎が探られている。

 神社の由緒書にはご神像を「木彫ニシテ丈一尺八寸(68センチ)躰ハ獣ニ似テ一足至テ奇怪異様ノ神像ナリ」とされている。また「其作者ノ何人タルヤ知ラス又安置セル縁由及年代トモ不詳」とある。

 学芸員の丸尾依子(よりこ)氏によると、きの神らしきは江戸時代の儒学者で、柳沢吉保に仕えた荻生徂徠(おぎゅうそらい)の「峡中紀行」(1706年)に初めて登場する。

 社の扉の前にひとつ足の獣の木像があると記されており、この時点では神像の扱いがされていないことがわかる。

 しかし1800年代には厄よけにときの神が木版画となって旗本などに配られていた事実がある。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100109/acd1001091802003-n1.htm

 「山海経」に登場するきの神は、「7千里の山頂に住む獣は牛のような姿をして全身青く、角がない一本足。水に出入りするときは風雨を伴い、声は雷のようだ」(要約)とあるが、山海経の挿絵と同神社の神像とは幾分姿が異なる。

 一方、神社周辺で雷の季節に神像の掛け軸を飾り、雷除けとする信仰があるという。

 江戸時代に妖怪ブームが起きた。神とは御利益だけをもたらすのではなく、ときには自然を敬うことを人間に教えることもあるといわれる。

 丸尾氏は「きの神とは山梨岡神社がある御室山にすむ精霊が木像に降臨したものではないだろうか」と結んだ。公開は1月25日まで。(後略)
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100109/acd1001091802003-n2.htm

山海経』に平仮名の「怪獣」が登場するわけないよなと思っていたら、『山海経』「大荒東経」の読み下しを載せている頁があって、そこで確認した*1。しかし、字をテキストではなく画像として貼り付けている部分もあり、ここにコピーすること能わず。また、「きの神」について、同じ『産経』の記事を参照した、

…なんか断片的なんでよく分からんなあ、と思ったんですが。「第十四 大荒東経」でそれらしいモノを発見。一応?引用してみます。
『東海の中に流波山あり、海に突き出ること七千里、頂上には獣がいる、状は牛の如く、身は蒼くて角がなく、足は一つ。これが水に出入するときは必ず風雨をともない、その光は日月の如く、その声は雷のよう。その名は(き)。黄帝はこれをとらえてその皮で太鼓をつくり、雷獣の骨でたたいた。するとその声(ひびき)は五百里のかなたまで聞こえて、天下を驚かせたという』…『』内平凡社刊「山海経高馬三良訳:P152〜P153より引用。
肝心の「き」は漢字なんですが「虁」という…潰れてたり表示できない方の方が多そうなくらい難しい漢字であります。部首は「スイニョウ」で画数は二十画。どんな字?と聞かれても…まず「くさかんむり(ただし左右に分かれたやつ)」をアタマに頂いて・その左下に「止」真下に「頁」右下に「己」・さらにその下に「夏」の下半分(つまりこの部分がスイニョウ)をくっつける、という…しかし手持ちの講談社刊「新大字典・普及版」にはしっかり「き」の絵まで載ってていきなり「もののけ」となってましたが(同じ事典をお持ちの方は検字番号2913〜2915になります)。

もちろん平凡社刊の方にも挿絵が入ってて、明らかに「き」の記述通りのモノが。たしかに一本足の牛だわ、こりゃ。↑記事の写真とはたしかに違いますな…写真の方は足が明らかに牛じゃなくて虎とか猫とか犬とか狼とか、そういう猛獣系になっているように見えるんですが。顔つきも…獅子とかそっち系?のような、そんな気もするんですが…さて?
http://singten.air-nifty.com/arekore/2010/01/post-a69e.html

をメモしておく。