怖い夢など

数日前、幸福の科学に侵入したら忍者が反撃してきて、橋の上からピアノ線で吊されてしまうという夢を見た。怖かった。多分、初夢ではない(初夢の内容は憶えていない)。

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100104/1262578368で、言語やコミュニケーションを「命令」*1に還元する言語観に危惧を表明した。それとの関係で一見まったく別のことを思いついた。球技について。
球技といわれるものは大まかに3つに分けられるのではないかと思う。


フットボール、バスケットボールなど
野球
テニス、卓球、ヴァレーボール、バドミントン


フットボールやバスケットボールの目的はボールをゴールに入れることで、全ての所作はその目的のための手段に還元される。野球も目的論的だが、故郷(バッター・ボックス/ホーム・ベース)を離脱して、異郷で苦労して故郷に錦を飾る(ホーム・イン)という構図を持つ。フットボールなどを支配する時間性が線的であるのに対して、野球を支配する時間性は円環的であるといえる。最後のテニスなどの場合、ボールのやりとりを維持することがプレイヤーの義務となる。フットボールや野球でもパスを繋ぐことは重要だが、前者ではシュートの条件を整えるための手段であるし、後者では打者(走者)を殺すための手段である。それに対して、テニスなどではボールのやりとり(ラリー)を維持することはそれ自体として義務であり、ボールのやりとりを維持しそこなった場合、負けとなる。これは言語的コミュニケーションに似ている。例えば、尻取りで「ん」で終わる語を言ってしまったら負けとなるように。

*1:というか、英語で言えばorder。orderには命令のほか、注文という意味もあり。