何とかの「回答」

「「女イチロー」ってどうよ」http://d.hatena.ne.jp/discour/20080822/p1


「女イチロー」という呼称についてのフェミニスト的批判。この批判は正しいといえる。
理屈を言えば、欠性対立(privative opposition)の問題ということになるのだろう。上野千鶴子氏曰く、


言語記号が互いの間の差異によってのみ価値(記号の意味)を生じるという知見からは、言語カテゴリーとしてのジェンダーが二項対立、それも言語学にいう欠性対立によって成り立っていることが導かれる。欠性対立とは一方の項が無標、他方の項が有標によって成り立つ非対称的な二項対立であり、無標の項は「有標」でないという否定形によってしか定義されない。Man/Womanの二項はこの欠性対立に該当する。(「ジェンダー概念の意義と効果」『学術の動向』2006年11月号、http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/pdf/200611/0611_2834.pdf、p.29)
Womanの反対はManであるが、これは対立項である男と同時に対立を包摂する一般項としての人間を意味してしまう。勿論、日本語の男/女は英語のMan/Womanのような欠性対立は成していない。しかしながら、よく使われる女流作家、女医といった言葉では、欠性対立が機能しているといえる。女流作家の反対は男流作家ではなく、一般項である作家である。また、女医の反対は男医ではなく医者*1。その理由を推測すれば、 (史上最初の小説家と言われているのは紫式部であるにも拘わらず)文壇とか医学界が〈男の世界〉だと社会的通念として観念されており、そこへの女性の参入は(実際の統計的な男女比とかとは関わりなく)例外的な特例と見なされているということであろう。「女イチロー」という言い方の場合は、さらにソフト・ボールが野球の亜種と見なされていて、


野球/ソフト・ボール
男/女


という対立が重ね合わされているといえる。
シンクロナイズド・スイミングは女の領域と見なされていて、オリンピックにも男子シンクロはない。ここでは欠性対立が逆転している。将来、男子シンクロがオリンピック種目に採用されて、男子の凄い選手が出たりすれば、男何ちゃらとか呼ばれたりするのかも知れない。
思い出したのは、和製何とかという言い方。昔から和製プレスリーもいたし、最近では「和製ビヨンセ」をウリにしている藝人もいるらしい。
話はまた転じて、ずっと気になっていた英語の言い回しがある。それはA’s answer to Bという言い方。例として、上海の雑誌のベタ記事を写してみる;


Ayumi Hamasaki:Bra Diva in Shanghai


While shooting in Hong Kong for her highly-anticipated 2009 calendar, the Japanese pop diva (often called Japan’s answer to Madonna) appeared in Shanghai via a video conference, promoting an underwear brand. Hot stuff! “It was my first time making a commercial for bras. I was too nervous to sleep the night before,” she told her Shanghai fans. Hamasaki also said she couldn’t wait for her Shanghai concert in December.
(CityWeekend August 14 2008, p.33)

”Japan’s answer to Madonna”というところなのだけれど、どう日本語に訳せばいいのかずっと迷っていた。直訳して、浜崎あゆみマドンナへの日本の回答としばしば呼ばれているとするのも変だ。というよりも、訳になっていない。やはり浜崎あゆみ和製マドンナとしばしば呼ばれているなのか。しかし、Japan’s answerという言い方には和製何とかに含まれた軽蔑的或いは自虐的なニュアンスはないようにも思える。寧ろ、売り言葉に買い言葉的な相互性を感じ取ることができる。といっても、私の勝手な想像にすぎないのだが。
「女イチロー」をWomen’s answer to Ichiroと英訳することはできるのか。その場合、コノーテーションはどう変わるのか。

*1:上野氏の説明にある「有標」と「無標」を逆にした方がわかりやすいのかも知れない。実際、山口昌男氏などは、「有徴(marked)」(上野氏のいう「無標」)/「無徴(unmarked)」(上野氏のいう「有標」)という対立を使っている。言語的に見ても、womanは(一般項=無徴である)manにwo(womb=子宮?)がマーキングされているということができる。また、日常語でも〈札付き〉という言葉が使用されている。なお、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080725/1216982697で「+/−」で対立項を表示する構造分析に言及したが、そこでは欠性対立への言及はしていない。