- 作者: 須賀敦子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/11/01
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http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100104/1262578368で、須賀敦子さんの「世界をよこにつなげる思想」から引用したのだが、これは主にシモーヌ・ヴェイユについて語った文章。曰く、
また、須賀さんは「シュタインにせよ、ヴェイユにせよ、高度の教養を、まるでふだん着のように身につけていた人たちを、私はまったく叙情的に解釈し、勉強のほうは怠けていた」とも書いている(p.103)。
あっさりしたつきあいとはいっても、ヴェイユは、五〇年代の初頭に大学院で勉強していた私たち何人かの女子学生の仲間にとって、エディット・シュタインとならんで、灯台のような存在だった。シュタインは、ドイツ生まれのユダヤ人で、フッサールの弟子として研究生活をつづけたのち、カルメル会の修道女になったが、一九四二年の夏、アウシュヴィッツで惨殺された人である。女性であること、知識人であること、しかも、信仰の問題に深くかかわり、結婚よりも自立をえらんだことが、世間しらずでむこうみずな私たちにとっては、きらきらと輝く生き方に見えた。(戦時中の体験で、こりごりのはずの)工場で働くということまで、やや真剣に考えて話しあったりした。(p.102)
また、「読書日記 『フェリー二を読む』『天皇の逝く国で』『詩は友人を数える方法』」の、フェリー二の『道』に触れての、
というパッセージも目に止まる。
あたまでばかり考えて考えて、精神がささくれだったようになっていたパリで、『道』は《存在の重さ》というようなことを考えさせてくれた。明晰であろうとするとき、自分も人も傷つけてしまうことが多いのだが、《存在》そのものは、ひたすら人をなぐさめる。自分は《存在する》といえる人間になりたい。フェリーニから、そんなメッセージが来たように思った。(p.214)
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