岡正雄2――「エトノス」へ(メモ)

承前*1

阿部純一郎「20世紀前半日本の人種・民族研究における「異種混交」現象への応答――自然/文化科学の境界線をめぐる論争――」『名古屋大学社会学論集』29*2、2009、pp.21-46


第3節「「文化」から「エトノス」へ――岡正雄の場合」の後半。
「1940年代になると、岡の論考から人種研究への批判的言及は少なくなり、かわって民族学民俗学を「エトノス」の学として統合するという関心が前面化する」(p.30)。


岡は「現代民族学の諸問題」(1943)のなかで、今日の民族学が克服すべき課題を列挙している(略)(1)*3世界を文字/無文字社会に分割し、その対象を後者の原始未開社会に限定してきた点と、(2)専ら「文化」研究に終始し、その担い手の感情・意識・意志といった「主観的な方面への顧慮」を欠いてきた点(略)。ここで重要なのは、上記の問題を、岡が「エトノス」の概念を導入することで同時に乗り越えようとしている点である。(p.31)
「東亜民族学の一つの在り方」(1944)において、「岡は、民族学民俗学との違いを、それぞれの学問が発生してきた地域の国民国家形成の違い、単純にいえば、いち早く帝国主義的段階に進んだ英仏西欧諸国と、それに立ち遅れた中東欧諸国との民族意識の差に求めている」(ibid.)。「東亜民族学の一つの在り方」からの引用;

現代民族学の直接の起源が十五世紀以来の「欧羅巴」の膨脹発展に伴ふ異民族の発見、これとの接触にあつたことは云ふ迄もない。従つて従来の民族学欧羅巴「外」のエキゾティックな異民族研究であり、謂はば「外」に向けられた異質研究の「異」民族学であり又「多」民族学(Volkerkunde)であつた因縁伝統も理解せらるるのである。然るに之に反し民俗学は一民族の民族としての自己発見、自己認識の学問であり、民族の政治文化的自覚、民族意識の発達に促された民族の自己究明の学問であつた。従つてこれが「単」民族学(Volkskunde)又「自」民族学として成長した所以であり、いはば「内」に向けられた同質研究の民族学なのである。

まず民族学民俗学が、「異」「多」「外」民族学と「自」「単」「内」民族学とされている点を確認しておこう。つまり二つのミンゾク学が、同じ「エトノス」の学として語られ、その共通性の下での調査対象の差に翻訳されているのである。っこうして両者を共通の地平に置いたうえで、次に岡は、今日の東欧・南欧諸国の民族学について、その対象が自国の民族だけではなく、それと同祖的関係にある異国の諸民族にまで拡大していることを紹介し、かつこの展開は学問的にいえば、自・単・内の民族学が異・多・外の民族学を包摂し、より高次の自・単の民族学へと発展したことを示していると説明する。そして最後に岡は、これと同様の過程が、同じく後進諸国の系列に位置づけられる日本にも「東亜民族学」として生起しうるし、また実現させる必要があると論じている。(略)これは調査対象によって民俗学から隔てられてきた民族学の限界((1))を解消するために、両者を自己発展の可能性をもつ「エトノス」という動態的主体の学問に位置づけた((2))と解釈することができる。こうして岡の民族学は、「日本民族」というエトノスの対外発展と歩調を合わせつつ、その学問的領土に本国および植民地の諸民族をともに包み込むことが可能となる。(pp.31-32)
この論文では「東亜民族学」ならぬ「大東亜民俗学」についての川村湊の2つのテクストがビブリオグラフィに挙げられている;


『「大東亜民俗学」の虚実』講談社、1996
植民地主義民俗学民族学」in 『民俗学がわかる。』(AERA Mook 32)、1997

民俗学がわかる。 (アエラムック (32))

民俗学がわかる。 (アエラムック (32))