「四馬路」など

陸蓓葉「“四馬路”尋芳」『TimeOut上海』2009年12月号、p.7


現在の福州路をかつて「四馬路」といった。「大馬路」である南京路を起点として、北から順番に「二馬路」(九江路)、「三馬路」(漢口路)、「四馬路」(福州路)と呼ばれた*1。「四馬路」は上海随一の売春窟だった。その形成について、以前は英国人は殖民地に競馬場と売春宿を真っ先に作りたがるものだと、あまり根拠なく思っていたのだが、実は太平天国と関係がある。1861年太平天国が南京と江南一帯を占領した時、売春禁止令を出した。そのため、商売ができなくなった遊女たちは(太平天国も手を出せない)上海の英国租界に逃げ込んだ。また、現在でも福州路は書店の多い通りでもあるが、中国の近代的な文化産業の発祥地でもある。これも零落した文人たちが遊女たちとともに上海に移り住んだのが起源であるらしい。

*1:福州路の南の広東路を五馬路と呼ぶことはなかったようだ。