言説としての「口裂け女」(メモ)

「学校の怪談」はささやく

「学校の怪談」はささやく

山田巌子「「社交」と「ふるまい」――学校という舞台」(in 一柳廣孝編『「学校の怪談」はささやく』青弓社、2005、pp.135-165


口裂け女*1が言及されているパラグラフを書き写しておく;


子どもたちの「怪談」が一部の研究者や文筆業者だけでなく広く一般の関心を引いた例として、一九七八年から各地ではやった「口裂け女」を挙げることができる。しかし、この話が流行した当初は子どもをパニックに陥れる「デマ」として扱われた。個別の学校の枠を超えて広がっていったことが大人たちの関心を引いたのである。「口裂け女」は子どもの世界から離れ、大人たちの解釈が施された。七九年のスポーツ新聞・週刊誌の論調を分析した宮本直和は、(1)*2虚偽の情報、(2)「科学への不安」、(3)「受験社会への反発」、(4)「過保護な母親への反抗」という四種類の解釈に分類できるという。このころから子どもの「怪談」は、「受験社会」や「過保護」といったその時代に特徴的な(と考えられていた)子どもをめぐる事柄と結び付けて論じられる傾向があったといえる。(pp.137-138)
ここで援用されている宮本直和の論は、


「「口裂け女」流言の研究――子供の現実と大人が見る子供の現実」『歴史民俗資料学研究』(神奈川大学歴史民俗資料学研究科)1、1996


宮本はまた、1986年に話題になった「『ドラえもん』の最終回にまつわる噂」や「自殺した少女歌手*3の亡霊の噂」などの分析も行っているという(p.139):


「なぜ子どもたちは流言を語るのか――一九八六年に子どもたちが語った四つの流言分析」『歴史民俗資料学研究』(神奈川大学歴史民俗資料学研究科)3、1998