万世多系

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980


最初に


最近クリエイター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の映画(特に80年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「キューブリックをどう思う?」と聞くと、「キューブリックって誰ですか?」という答えが返ってくる。「デ・ニーロの映画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の映画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「テレビでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。


今の若い人の間では、映画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてジャンルごと理解しようとする人はほとんどいない。

何年か前に、若者と音楽について話したとき、これと同じような感想を持ったことがある。だから、まあ映画についてもそうなんだろうなとは思う。
ところで、「映画を体系的にとらえよう」とあるが、これは誤解を招く表現だ。ここで語られている(というより、語られようと欲望されている)のは、個別の映画作品の話ではなく、映画史(映画の通史)なのだから。
ここで紹介された7本というのは、たしかに(フォレスト・ガンプ』を除いて)名作である。しかしながら、ここに露呈されているのは、〈万世一系〉の映画史を語るという天皇主義的・日本共産党的欲望の不可能性だろう。それは、ここでドキュメンタリーやアニメが全く考慮されていないということだけではない。映画史というのが〈万世一系〉的な系譜を拒絶するようにできているのだ*1。確かに映画は19世紀に巴里のセーヌ川の水で産湯を漬かった。しかしその後直ぐに世界各地に移住した子孫たちはそれぞれの土地の伝統藝能や大衆藝能と交配し、その後も複雑な異種交配及び近親交配を繰り返し、現在に至っている。そのような全体が映画史(或いは大文字の映画)ということになるのではないだろうか。

*1:あらゆる〈歴史〉はそうではないだろうか。