50年代の問題

http://b.hatena.ne.jp/nessko/20110815#bookmark-17574372


岩崎夏海(笑)の「映画を体系的に理解するための7作品」というエントリー*1に対する新しいコメント。曰く、


ハリウッド映画史として見るならば、黄金期は1940年代ではないのか。50年代はイタリアと日本の映画が注目された。/小説家ということになると、映画などさして見ない作家はめずらしくないのだがな。 2011/08/15
50年代以降の戦後米国映画史を理解するには昨年亡くなったデニス・ホッパーの生涯を辿りなおしてみるというのもお薦め*2
さて、ハリウッドの「黄金期」が1940年代だったというのは少なからぬ映画評論家や映画学者のコンセンサスになっているんじゃないでしょうか。少なからぬ傑作・秀作を生み出しているにも拘わらず、何故50年代に入ると、それがしぼんでしまったのか。岩崎夏海がネグっている2つの要因が関わっているんじゃないでしょうか。マッカーシズム赤狩り*3とTVの興隆。マッカーシズムによって、それまでハリウッドというか米国映画を支えていた少なからぬ映画人が(少なくとも)表立って仕事ができなくなってしまったこと。また、TVの興隆はそれまでハリウッドが得意としていた小ぶりな映画、例えばおしゃれなラブコメとかの市場価値に脅威をもたらした。そこでハリウッドが採った打開策は(互いに関連していますが)2つあったと思います。国内の人材の減少に対しては、海外での撮影。野外ロケだとフランコ政権下の西班牙、室内だと伊太利のチネ・チッタ。勿論国内で撮るよりも西班牙や伊太利で撮った方が圧倒的に安上がりだったということもあると思いますが。また、50年代の伊太利映画への注目というのもこのハリウッドの下請けということと無関係ではないと思います。TVの興隆に対してはスペクタクル化。現在俗に共有されているハリウッド映画=大掛かりなスペクタクルというイメージは1950年代以降に構成されたということになります。また、米国映画のその次の劃期は(これまた岩崎はネグっていますが)対抗文化を背景とした1960年代後半からの〈ニュー・シネマ〉でしょう。
マッカーシズムに関する映画としては、Martin Littの『ザ・フロント』を取り敢えず挙げておきます。主演はウディ・アレンですが、この映画では監督や脚本には関与せず、役者に専念しています。というか、この映画の目玉は監督を初めとして、主立ったスタッフ全員がマッカーシズムによる弾圧の体験者だということ。また、ハリウッドのチネ・チッタ進出についてはフェリーニの『インテルヴィスタ』で語られていたか。
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日本映画の世界的な影響ということだと、先ず黒澤明が語られる傾向がありますが、仏蘭西映画ということに限定すれば、何よりも溝口健二の『新・平家物語』、それから中平康の『狂った果実*4でしょう。これらは所謂ヌーヴェル・ヴァーグの起源(のひとつ)ともなったわけですが、その重要性は、例えば石原慎太郎は『狂った果実』の原作者であるという事実だけで懲役1万年が5000年にまで減刑される、そのくらい重要だということ。
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