2つの知とか

承前*1

先ずは、経済思想さんに教えていただいた『東京新聞』の記事;


子どもの貧困深刻化 昨年度の『就学援助』受給者 県内で6万人突破

2009年11月22日


 生活が苦しい家庭の小中学生に学用品費や学校給食費などを支給する就学援助制度で、学用品費等の支給を受けた県内の児童生徒は昨年度は六万九百九十五人で、過去五年間で初めて六万人を突破したことが、県のまとめで分かった。受給者はほぼ十人に一人で、景気低迷や雇用情勢悪化を背景に、子どもの貧困が深刻化している実態が浮かんだ。

 県によると、昨年度の援助総額は約十八億四千八百六十万円。児童生徒数に対する支給率は10・2%で、過去五年間で最高だった。二〇〇四年度の受給者は五万四千三百八十四人、支給率9・1%、援助総額は約十五億四千八百四十万円。〇四年度から〇八年度の間で約六千六百人増えたことになる。

 さいたま市の場合、学用品費等で支給されるのは、ノートなどの文房具、靴などの通学用品、社会見学などの校外活動費で小学生(二〜六年)が年額一万四千七百八十円、小学一年が一万二千六百十円。中学生(二〜三年)が二万六千五十円、中学一年が二万三千八百八十円。ランドセルなど新入学の学用品費が小学一年で一万九千九百円、中学一年で二万二千九百円。それぞれ学期末などに保護者側に振り込まれる。

 修学旅行費は小遣いなどを除いてかかった費用が実費で支給されるが、「事後の援助では間に合わない」との声もあるという。

 同市の昨年度の受給者は七千七百七十八人で、支給率は7・4%だった。担当者は「本年度は申請数が一・〇五倍程度になっており、受給者数が八千人を超えるかもしれない」と話している。

 <就学援助制度> 経済的な理由で就学が困難な小中学生を市町村が支援する、学校教育法に定められた制度。保護者に支給される。支援項目や支援額は自治体によって異なるが、主に学用品や給食、医療費などで、生活保護世帯は生活保護の教育扶助が優先される。「三位一体改革」で2005年度から国庫補助が廃止された。文部科学省の今年1月の調査では、支給基準を厳しくしたり金額を下げた自治体は90、基準の緩和や金額を上げた自治体は74。自治体の財政事情などにより格差が出ていることがうかがえる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20091122/CK2009112202000094.html

また、青砥恭『ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所』という本を紹介したエントリー、http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20091121#p1をマークしておく。このエントリーを読んで、「子どもの貧困」問題とは別のことを思い浮かべた。知識というものには2つの種類のものがあるといえるだろう。学校で教えられるフォーマルな知識。生活の中で、また労働の熟練などにおいて得られる知識。後者は所謂生活の知恵とか仕事のコツなどが属する。人間の歴史において、学校というのが出来たのはかなり新しいことであるわけで、超マクロに見れば、人間はその歴史の殆どを学校なしで過ごしてきたといえるし、学校制度が出来たとしても所謂近代になるまで、一部の階級を除いて、学校は所謂読み書き算盤に限定されていた。にも拘わらず、生活に必要な知識は蓄積され、継承されてきた。社会が存続してきたことがそれを証する。この生活の知恵的な知識は〈学力〉として客観化・数値化されうる学校的な知識と違って、客観化・数値化されにくい。だから、〈低学力〉が云々される場合、学校的知識が生活の知恵的知識を見下す、一種の差別なんだろうと思っていた。私を含めて、高学歴なのに生活能力に乏しい奴なんていくらでもいるからね。しかし、上のエントリーを読んでいて、所謂「底辺校」のガキたちは「学力」=学校的な知識だけでなく、インフォーマルな知識からも疎外されているのではないかと思ったのだ。
さて、「SA高校の生徒にとって数字の理解は三十までで、それ以上の数を概念として理解するのはむずかしいようだ」。何故、30なのか。10でも12でもなくて。1か月だから?