「森ガール」?

「森ガール」という言葉を初めて知る。
曰く、


はずかしながら、先日はじめて、「森ガール」なるファッション・トライブの流行を教えてもらいました。

草食系でふわふわワンピでロハスで民族・北欧系入ってて乙女でガーリーでカフェでまったり好きで可愛い雑貨好きで、要は『ハチクロ』のはぐみみたいな不思議ちゃんイメージの「森にいそうな女の子」ってことだそうだから……

それ、まんま遊佐未森やんっ!

……と、6月27日に行った新アルバム『銀河手帖』発売記念の柿の木坂ライブの最前列席で、ご本人まで約10m程度の距離で至福のなかであられもなく踊り狂っては、「もうミモリンにインタビューできたら死んでもいい!」という気持ちを新たにしてきたばかりの変態キモ中年として、心がうずかないわけにはいかないのでした。
http://d.hatena.ne.jp/qyl01021/20090707

また、

mixiのコミュニティ「森ガール」
つまり、森にいたら似合いそうな女の子たちのコミュニティ・・・ということらしい。
昔で言う、オリーブ少女の現代版?
わたしもこういうファッションは大好きだけど、 もう年齢的に妙齢の域に入り、少女とか乙女とかガールとか言ってられないのでコミュニティには参加せずこっそりお気に入りに入れて眺める毎日。
http://www.kanshin.com/keyword/1225342
で、以下「森ガール」の特性が列挙してある。
遊佐未森といえば、かなり以前にファンであることをカミング・アウトしているのだが*1。ただ、遊佐未森は〈ケイト・ブッシュの従妹〉、〈大貫妙子の妹〉という位置づけなのだが、そういう文脈において「森ガール」はどうなのか。また、「遊佐未森は性の匂いがしない。森ガールは一枚めくるとあるような」というコメントあり*2。「性の匂いがしない」なんて、子持ちの女性に失礼だろうと言いたくなったのだが、たしかに。私も、

(初期の)遊佐未森

(多分『時をかける少女』の)原田知世

ナウシカ


共通しているのは、性差がミニマムであるということ(仏蘭西語でいえば、comme des garcons?)。ミニマムな性差がイケテた、夢の遊眠社にしても、たしかに1980年代文化のひとつの側面ではあったと思う。それを賞揚した言説を発していた人としては、川本三郎とかを思い出すけれど。ただ、それが「オタク」と結びついていたとしたら、1990年代以降の「オタク」の(曖昧ではない)欲望の対象からすると、そこにはある種の断層があるのだろうと思う。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060418/1145330536

と書いている。また、

Skeltia_vergberさんが浜崎あゆみの歌詞の一人称が常に「僕」であることに疑問を呈している*3。それに対して、Mixiの方で、初期の遊佐未森も「僕」という一人称で歌っていたということを書いた。初期の遊佐さん、すなわち『空耳の丘』、『ハルモニオデオン』 、『HOPE』、『モザイク』辺りまでの外間隆史氏にコントロールされていた時期の遊佐さんは、ヴィジュアル的にもボーイッシュな少女というキャラクターで、「僕」という一人称、「君」という二人称で歌っていた。これに関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060418/1145330536で、「1980年代文化のひとつの側面」としての「ミニマムな性差」の称揚ということに言及した。遊佐さんの場合、「僕」・「君」からの脱却というのは、外間隆史氏からのミュージシャンとしての自立ということと関係があるのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080408/1207644864
とも。 
ところで、「ロリータとはちがうの」ということで、田園指向といっても、ピンクハウス系ではないのですよね。でも、ケイト・ブッシュのファンと「ゴス」のファンはかなり重なっているという話も聞いたことがあるので、間接的には繋がっているのかな*4
「森ガール」の起源として、吉田加南子という名前を挙げてみる。