「幸福」(ダーレンドルフ)

政治・社会論集―重要論文選

政治・社会論集―重要論文選

Ralf Dahrendorf「ライフ・チャンス」(加藤秀治郎、吉田博司、田中康夫訳 in 加藤秀治郎編『政治・社会論集 重要論文選』晃洋書房、1998、pp.63-98)

「幸福それ自体は、疑いなく望ましいものである。しかし、社会的価値として考える場合、少なくとも三つの欠点がある」(p.63)。


「公的幸福」の観念は(むしろ何か別のもの、つまり、平穏な均衡状態にあって全面的に正統性を付与された社会状態、を意味するものかもしれないが)、決して無意味なわけではない。しかし、社会は人間が幸福となるように形成されるべきだとの主張は、たいてい疑ってみなければならない。ここから、幸福という言葉を社会的に使用する際の二番目の弱点*1に話がうつるが、それは、この言葉に〈あらかじめ定められた幸福〉という響きがあることである。ある共産主義国チェコスロヴァキア・ソヴィエト社会主義共和国)のある公認刊行物に、仮想の憲法が記載されており、その第一条では「すべての人間は生涯を通じて幸福であることへの侵すべからざる権利を有する」とされ、第二条では、「人間社会は、この権利をあらゆる手段でもって保証しなければならない」とつけ加えているが、これは決して偶然のことではない。そのような社会では、結局のところ「あらゆる手段」の方はたくさん存在するものの、幸福の方はほとんど存在しないのではないかと、疑ってみたくなるが、それは感覚過敏というものだろうか。(p.65)
また、

もちろん、自由の擁護者は、何よりも個々人に益するよう設定された〈社会的・政治的行動の目標〉を達成しようとするのであり、この意味で自由の擁護者は、実現可能な幸福の条件づくりに関わっているのである。しかし、自由の擁護者はまた、人間の希望、欲求。生活様式には、すばらしいほどの多様性があり、それゆえ幸福についての一般的定義は下しえないことをも認識しているのである。社会によっては、すべての人に幸福をこたらそうとし、さらには幸福を保証しようとさえするが、そのような社会は、限られた社会目標の達成に専念する社会よりも、人々を不幸にしてしまいやすいのであり、自由の擁護者はこのような社会に危険を見てとるのである。さらには、おかれている不確定な条件の下、人間は現時点で享受しうる快楽に安住することなく、成長し、発展しようとしていかねばならないことを、認識しているのである。アクティヴな自由主義の社会的、政治的目標を設定するのに必要な概念は、個々人の全く個人的な満足が望ましいものであるのを看過することなく、人間的成長の機会を社会構造のパターンにつなげるような概念である。〈人間社会の過程では何が重要なのか〉ということに関するものであって、厳密な意味で社会的であり、それゆえ必然的に歴史的でもあるような概念が必要なのであり、それは〈変動の社会理論〉と〈自由の政治理論〉の双方に、本質的なものを付与するものでなければならない。(pp.67-68)

*1:一番目は「幸福が捉えどころのないものだということ」(p.63)。「幸福の追求には余りにたくさんの方途があって、社会的、政治的に一般化できない」(p.64)。また、三番目は「幸福という概念が全く非歴史的なこと」(p.65)。