英会話本(メモ)

玉木研二「生きるか死ぬかの英語」http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20090224k0000m070122000c.html


1946年に三省堂から刊行された『会話便覧米兵との話方』という英会話教本を扱った、玉木雄三*1「英会話教本に見る占領期の世相」(『英語青年』2009年2月号)というテクストを巡って。
曰く、


大半の日本人にとって初めて間近に見る米国人とどう意を通じ合うか。まず「会話道」というのがあって、「機転利かし、勇敢に、臆(おく)せず」「封建的な言語心理からの脱却」を説く。お辞儀をしたり、あいさつ代わりに「どちらへ?」(Where are you going?)と聞くのも戒める。彼らはどこへ行こうと他人の干渉は受けない、というのである。大変だ。

 こんな例文があるのも当時ならではだ。「誰か?」「日本人です」「出ろ! 早くしろ!」「撃つな!」「動くな!」「助けて!」「証明書を見せろ!」

そして、「英会話が今と違い、リアルに生きるすべだった時代の話である」と結ばれる。
米国でFreeze!の意味がわからずに殺されてしまった方がいたということを思い出す。
さて、吉見俊哉『親米と反米』によれば、GHQの検閲体制は「メディアに「占領軍」の姿が登場すること自体を避けさせ、まるで日本には占領者などいないかのように語らせようとした」(p.84)。つまり、「米軍兵士やジープ、基地施設から英語の標識のような些細なものまで、検閲によってその姿がメディアから徹底的に消去されていた」(p.85)。「占領者の姿を見えなくすることによって、戦後日本には、あたかも自分たちだけで自足しているかのような表象空間が作り上げられていった」(p.84)のだから、この『会話便覧米兵との話方』という本、よく検閲に引っかからなかったものだという感じはする。勿論、日本人が英語を覚えるというのは「占領」のスムーズな遂行にとってはプラスになった筈ではあるが。
親米と反米―戦後日本の政治的無意識 (岩波新書)

親米と反米―戦後日本の政治的無意識 (岩波新書)

*1:親戚?