「色情小説」その他

承前*1

黄暁峰「陳慶浩談中国古代小説」『上海書評』2009年1月18日


中国文学者、陳慶浩へのインタヴュー。陳慶浩は1941年に香港に生まれ、現在は仏蘭西のCentre National de la Recherche Scientifique(CNRS)*2の研究員。
「中国文学」という場合、ヴェトナム人、朝鮮人、日本人、琉球人が「漢文」で書いた膨大な量のテクストはどう扱うべきなのか。中国文学? それとも、ヴェトナム文学、挑戦朝鮮文学、日本文学に属すべきなのか。陳慶浩氏は1987年に『越南漢文小説叢刊』を、2003年に『日本漢文小説』を、台湾学生書局から刊行しており、現在『海外漢文小説全集』を編纂中で、そのうちのヴェトナムの部が上海古籍出版社から近々刊行される。
陳氏によれば、東亜細亜における「漢文小説」というのは決して遠い過去のものではない。ヴェトナムでは20世紀に到るまで「漢文小説」が書かれていた。また、陳氏が注目しているのは、基督教(カトリックプロテスタント)の宣教師が布教目的で書いた「漢文小説」。その最も早い例は、イエズス会士「馬約瑟」が清の雍正年間に書いた、或る宣教師が「儒生」を「感化」するストーリーの『儒交信』。但し、これが刊行されたのは1942年に河北省の某カトリック教会によってである。『儒交信』が長い間表に出なかったのは、フランチェスコ会との論争にイエズス会が敗れたことに関係している。また、宣教師による「漢文小説」それ自体が今まで注目されてこなかった一因は、(特に阿片戦争以後)「西方宗教」を「西方中国侵略的工具」と見做す見方が強かったことである。

さて、「色情小説」を巡って。陳氏は『思無邪匯宝――明清艶情小説叢刊』を台湾で刊行している。
曰く、


(前略)色情小説現在好像到処都有、其実在十九世紀之前、色情小説並不是毎個文化都有的。中国、法国都是比較特殊的、其他的地方、英国是受到法国的影響、十八世紀以後才有。日本古代很好的浮世絵、但是没有甚麼色情小説;印度古代有《愛経》*3、也有很好的雕像和神廟、但是没有色情小説。色情文化各個民族都有、但是色情小説不是毎個民族都有。而且我覚得色情小説的民族性特別強、一般来講、西方宗教色彩比較重、東方人宗教色彩倒是不重。西方的色情小説往往是圧制與反圧制的関係、法国的色情小説基本是対抗基督教的禁欲観念。
日本について語られている箇所に関しては、(私も含めて)異議のある人は多いだろう。ところで、陳氏は、『金瓶梅』は「厳格意義上的色情小説」ではないという。「裏面的色情描写所占的比例還是很小的」だから。
中国の春本の研究には和蘭のファン・フーリック(高羅佩)の貢献は大きく、陳氏もその名を言及している。さて、ファン・フーリックは英語でものした探偵小説の幾つか、例えば『四季屏風殺人事件』を、自ら明代の白話小説の文体を模した中国語に訳しているが、これは外国人が書いた(漢文ならぬ)中国語小説の代表といえるか。
ディー判事 四季屏風殺人事件 (中公文庫)

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