陳舜臣談陳舜臣

陳舜臣陳舜臣和他的歴史小説」『南方週末』2008年11月13日


ほかの人による紹介かと思ったが、自叙であった。
書き出しは、


陳舜臣東漢陳寔的後裔;陳寔、就是把窃賊叫梁上君子的那位。他的祖上従河南潁川南遷福建泉州、再搬到台湾、父輩経商、又移居日本、他出生在神戸。那裏有陳家墓地、碑上還刻着潁川。
また、

陳寔的児子們非常賢徳、有“難兄難弟”之誉、更難得的是這種賢徳遺伝到陳舜臣、文為徳表、範為士則。日本文学当中的中国歴史小説一類由他確立、踵跡其後的有宮城谷昌光酒見賢一塚本青史等。田中芳樹称頌陳舜臣是巨大的燈火、写道:“所謂中国題材小説、現在正成了路、這是那些高挙燈火走過荒野的先人們恩恵、而最明亮温馨的燈火健在、令人不禁従心裏感謝。”
また、

他当初曽用筆名叫“計三十六”――三十六計、走為上策。放弃学者夢、他曽回台湾謀生三年、経過了這様一件事:和幾位朋友聚議開書店、其中両人不幸被国民党槍殺、有一人溜之大吉、後来当上了総統、李登輝是也。陳舜臣笑着回顧:仮如我留在台湾、也会被逮住殺掉、因為不善於逃之夭夭。
陳舜臣氏が1990年に日本国籍を取得していたことを知る。